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【838/1096】意志の対象となりえないもの

人生には、意志の対象にはなりえないものがある。
それを直接的に求めると、結果的に得られないというもの。
幸福、快楽、安息、調和、出会い、などなど。
これらのものは、結果としてしか与えられない。
そうなってしまうもの。

たとえば、あることを目指して、行動した結果、調和が得られる。
調和を求めて行動したら、不安になるのである。
調和を求めたわけではなく、そのように動いていたら、結果的に調和する。

しかし、自分に安心がない時、つまり不安なとき、不安定なときほど、人は、安心を求めてそれを目的にしてしまう。
そして結果的にもっと不安になる。

意志の対象となりえないものに、身体もある。
身体は意志で動かせるところと、直接的には動かせないところがあり、直接的に動かせないところを動かそうとしても動かすことはできない。
わかりやすい例でいえば、心臓を自分の意志で動かしたり止めたりすることはできない。
意志の力が必要なところと、その対象にはなりえない、結果として与えられるものがある。
この「結果として与えられるもの」を、何度も何度も享受する体験を積み重ねると、安心を直接的な目的にするようなことをしなくなる。
結果として安心を得られることを体感するから。
そしてこれは、結果的に、自己信頼が増し、自分が自分を好きになるということができるようになる。
私はこれを呼吸のワークで体感した。

自分が自分を好きになると言うのは、自己愛的な意味ではなく、ナルシストになるということではない。
自分で自分を偽らない。
自分で自分に言い訳しない。
自分をよくするための行動をとるようになる。
ということだ。

自己嫌悪や自己卑下は、自分で自分を嫌いになるための行動をとり続けている。
その行動をとりつづけることで、自分を信頼することからますます遠ざかり、自信がなくなっていく。

吉本ばななさんが、いつか
「自分がなにになりたいかわからない人は、自分の好きなものがわからないということで、それは生命体として致命的」
と書いていた。
それを読んだ時の自分は、これが好き、これがいいと言い切ることにためらいがあったので、ガーンとなった。
自分で自分が好きになると、自分の好きなものを言い切ることができる。
それは他者と比べる必要もなく、ただ自分の中に能動的に湧いてくるものであるから。
だから、自分の好きなものというのは、結果的に与えられるものなのではないかと思った。

何をしていいかわからない、何が好きかわからない、なんだかよくわからないが不安、みたいなとき。
自分でよくわからなくなったものは、
呼吸と身体に教えてもらうのが早い。

では、また。

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