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【映画鑑賞記録】少女は夜明けに夢をみる

イランの少女更正施設のドキュメンタリー映画。
http://www.syoujyo-yoake.com/(オフィシャルサイト)
杉山春さんと監督の対談(【SYNODOS】壮絶な過去を背負った彼女たちにとって、更生施設は最後のアジールである。/『少女は夜明けに夢をみる』メヘルダード・オスコウイ監督×杉山春)
監督のインタビュー(強盗、殺人、薬物、売春……様々な罪で捕まった少女たちの現実)

不思議な映画だった。
イランの貧困街で暮らす少女たちが、強盗、殺人、薬物、売春などの罪を犯して収容されている更生施設の中の出来事がカメラにおさめられている。
原題は「Starless Dream」(夜明けの夢)
どうして夜明けなのか?と言う質問に監督がインタビューで答えている。

タイトルを『夜明けの夢』としたのは、刑務所で死刑執行の時間が朝の5時で、彼女たちは死刑宣告を受けているわけじゃないけれど、朝の5時というのは怖い時間。5時を過ぎれば、安心して夢がみれるのです。

高い塀に囲まれているらしい少女更生施設だけど、中にいる少女たちは、無邪気な笑顔を見せたり、はしゃいだりする。
一人でぽつんとしている子も、ここにはちゃんと居場所がある感じ(一人でいることを尊重されている感じ)がカメラを通しても伝わってきた。
冒頭の雪合戦で、無邪気に子どものように遊んでいた少女は17歳で2歳の子どもがいるとインタビューに答えていた。もうそれだけで壮絶な人生が垣間見える。朗らかに遊んでいる風景とのギャップがすごい。
性虐待に遭って放浪して家出してきた少女、行き場がなくて路上生活をしていた少女、父親が薬を買うために売春させられていた少女、夫が怪我をして入院し退院する費用を払えなくて盗んだ少女、651グラムもの薬物を所持していた少女、暴力をふるってばかりの父親をこのままでは殺されると母と姉と共謀して殺した少女。。。インタビューをしていくと、ほとんどの少女は、性虐待に遭っていることがわかる。

監督が、どこかのインタビューで、少女たちに接する時に、アムー(父方のおじ)だと嫌がられ、ダイー(母方のおじ)なら受け入れてくれたという話をしていたのを読んだのだが、少女たちはアムーに性虐待を受けているので、父方のおじの呼び方ではなく、母方のおじの呼び方に変えたと言っていた。父権社会の構造だ、と思った。

父親を殺した少女がインタビューに答える。監督が「ここは痛みだらけだね」と訊くと

「四方の壁から染み出るほどよ。もうこれ以上の苦痛は入りきらない。ここのみんなは同じような経験をしている。だから一緒に過ごせる」

と答えた。

少女たちは、施設の中で、よく歌う。一緒に歌い、泣き、笑い、本音を話す。
感情のやりとりをして、お互いを毛づくろいしているようだ。
母を憎んで、会いたくないと思う反面、「お母さんにひどいことをしている娘なんだ」と母が恋しくて泣く。
一緒に泣いてくれる人がいて、優しく背中をさすってくれる人がいる。
ここで、少女たちは、”再生”されているようだと思った。再び生きるための力をもらっている。

けれど、現実は厳しいことに変わりはない。更生施設を出た後のことを考えると暗澹たる気持ちになることもあった。
それでも、少女たちはまた家族の元へ戻っていく。そのためのできうる限りのサポートを施設の職員はしている。
塀の外に出たら、少女たちは一人で家族と向き合わなければならないから。

イスラム教の聖職者が祈りのためにやってくるシーンでは、
少女たちが一斉に質問を畳み掛けていた。

「なぜ男と女の命の重みは違うのですか?」
「父親は子を殺しても責められません。褒められたりする。でも子が父親を殺すと処刑されるのはなぜ?」
「男と女では、罰金の金額も違うのは?」
「男は共犯しても見逃されるのに、女は共犯だって言われて捕まるのはどうして?」
「(父母の結婚前に自分が生まれたことを周囲に責められる)生まれたのは私のせいですか?」

聖職者の答えは「社会は平静を保つ必要があるんだ」と言うようなもので、到底納得できる回答ではなかったけれど、少女たちの疑問に答えてくれる声はなく。
この質問に大人はどう答えるのか?
日本では、さすがに法律上、あからさまな差別(罰金の額が男女で違うなど)はないけれど、目に見えないジェンダー間の違いはあり、イランのこの映画は、遠い国のかわいそうな物語ではない。
むしろ、日本では、「少年院で反省させて」いて、更生も再生も難しいことになっているのでは?とも思う。彼女たちのように、本音で施設の中で触れ合う時間もない。
大人が、子どもたちのためにできることはまだまだあるはずだと思う。

監督の「夢は?」との問いかけに「死ぬこと」と答えた少女がいた。
家族と和解し、施設から出るときは同じ問いに「生きること」と答えた。
笑顔が可愛らしかった。

施設を出なければならない少女が、夜明けに語る。
「だって、社会には敵わない。社会がお父さんに仕事をくれたら、お父さんはヤク中になんてならなかった。私はどこかの道端で野垂れ死ぬだけ」
と泣きながら言う。
彼女の親もまた、社会の構造の中では弱者であり、自分の力だけではどうにもならないことに踠いているのだろう、と思った。

オウスコイ監督は、一人一人の少女と、信頼関係を結んで向き合っている。
映画の中で、「おじさんに16歳の娘さんがいるって知ってショックだった。聞きたくなかった。だってその子は、愛されて大切に育って、私はゴミの中で・・・」と泣いていた少女がとても印象に残っている。
オウスコイ監督のように、一人一人に真摯に向き合い、一人一人の言葉を聴ける大人になっていくことが必要だと思う。
そういう大人が一人でも多く増えることが、大切なんじゃないか。
すぐに解決できる即効薬も、魔法もない。
私たちができることはわずかかもしれない。
それでも痛みを持って、声をあげた人の声を聴くことからしか、変わっていくことはできないのではないか?と思った。


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