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【135/1096】自分に「自信がない」ではなく、「全幅の信頼を置く」のである

135日目。バスに乗って子どもが塾に行くのを送っていたのであるが、「友達と一緒に行けるからママは行かなくていいよ」と言いだした。こわがりで、小学校にあがってからも、学校以外はずっと送り迎えしなくてはダメだったのに、急に成長してしまうのだなあとまぶしく感じる。


自信がないということ


さて今日は、自分に自信があるか?について書いてみたい。
「あなたは、自分に自信がありますか?」
そう聞かれて
「はい、あります!」
と答えられる人は、ここから先はあまり読む必要ないと思う。

私は本当に長い間、
自分に自信がない人であった。
自分を信じられない。
自分にダメ出ししまくる。
自分を疑う。
自分に自信がないから、他人が「正しい」と言うことに振り回される。
自分に自信がないから、意見を言えない。
意見を言う必要もないから、考えない。
社会で正義と言われているものを振りかざしてしまう。
そんな感じ。
「自信ある?」と聞かれたら「ない!」一択の即答である。
常に「ない」のである。
というより、「ない」状態にし続けた。

わたしの「自信がある」に対する偏見

わたしは、「自信がある」という人に偏見があった。
自信がある人は、
傲慢で
謙虚さがなく
強引で
自分勝手で
わがままを押し通す
上から目線
という偏見があったのだ。
つまり、イヤな人。
こういう人になりたくない、みたいな。
でも、それってつまり、自分がそういう人だったのだ。
それを認めたくなかった。

「自信がない」でも「自信がある」でもどちらも同じ

「自信がある」に偏見を持ち、「自信がない」状態にしつづけてきたわけであるが、あるとき、ぐるりと回転した。
「自信がない」も「自信がある」もどっちにしても同じなんじゃないか?

要は、自分の中にあるものを何にしているか?の違いだから。
自分になにを置いているのか?ということ。

つまり、自分の器(つまり身体)になにを通しているのか?
通すものを変えたら何が起きるのか?
ということを実験してみることにした。

「自信がない」ではなく、「自信がある」を置くのである。
これのどちらを選んでも、わたしの自由だから。
どうせなら、自分の器に「全幅の信頼」を置くことに決めた。

「全幅の信頼」を置いたとしても、
別に不安が消えてなくなるわけではないし、
緊張しなくなるわけでもないし、
イヤなことが消えてなくなるわけでもなかった。

が、「全幅の信頼」はずっとあり続ける。
「自信がある」状態で安定する。

「自信がある」とは、ただ自分を信じるということであり、
あるがままの自分をただ、ああそうなんだと正直に観るだけのことだ。
傲慢とか失礼とか関係なかった。

どちらにするかは選べる

「自信がない」も「自信がある」もどちらにするかは自分で選べる。
選んだら、それをするだけ。
好きな方を選んだらいい。
けっこうシンプル。

「自信がある」と「全幅の信頼を置く」は、微妙に違うが
自分の好きな方を選べばいいんじゃないでしょうか。
自分が選んだんだから、それをただするってことで。

選ばなくても、もともとあるでしょ?という声が聞こえてきそうだが、
わたしには選ぶ必要があったと言う話。

では、またね。


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