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【鑑賞記録】映画ライファーズを観て

ライファーズという映画を観た。


ライファーズを観た友人たちと、語りたい!とオンラインで話をした。映画を観て語るのは、本当にいいな、と思う。気のおけない友人たちと、率直に感想を語り合えるのは幸せなことだなあと感じた。

ライファーズは、今公開中の映画、プリズン・サークルを撮った坂上香監督の作品で、2004年に公開されたドキュメンタリー映画である。
アメリカのカリフォルニア州の終身刑の受刑者たちの回復プログラムにカメラを向けている。

懲罰を与える意味はなんなんだろう?とか、厳罰化が進んでいるけど、本当に罰を与えると人は犯罪を犯さなくなるのだろうか?とか、懲罰と回復は相容れないのではないか?とか、自分が恐れを抱いていることや、答えのない問いを一緒に考え、言葉にする。
回復プログラムの中で、受刑者たちは、お互いのいいところを言い合ったり、自分の気持ちを聴いてもらったりする場面があったのだけど、あれはとてもいいよね、羨ましいと話す。一般社会にもそういうのがあったらいいよねって思う。

プログラムを受けている人たちは、語彙がとても豊かで、自分の気持ちやその時に何が起きていたかを表現できているのだけど、それも、日常の生活を振り返ると、私たちの日常にもそんな機会はあまりないのではないか?という気がする。表現の仕方が、とても詩的だなーと思って、そういう表現が、人間には必要なんじゃないか?大事なんじゃないか?と話をしているうちに思った。わたしが、10代の頃に誰にも見せない詩を書きためていたのも、そういうことだったかもしれない。

怒られたり、罰を与えられたりするのではなくて、心が温ままった一瞬を人は抱えて生きられる方が、とても安心だ。
わたしは、友人との間に、心が温まった体験が最近あって、そのことをなんども反芻すると、ご機嫌でいることができたなあと思う。
人を支えるのは、そういうことなんじゃないかと思ったりする。

ライファーズで、出所した後に、「自分は社会に出たけど、ライファー(終身刑を受けた人)だ。日々を大切にするし、小さな幸せを噛み締めている」といった人がいたのだけど、自分なんてどうでもいいと自分のことも他人のこともぞんざいに扱っている人よりも、そういう人の方が、社会も安全だよねって思うのだ。


罰を与えられたら、次はバレないようにやるのではないか?
自分も大切な存在だったと気づいて、初めて、自分のやったことの重さを抱えられるのではないか?
回復に懲罰が必要なのだろうか?
制裁すると、社会は安全になるのだろうか?
回復した方が、社会は安全なのではないだろうか?
法律は本当に公平なのだろうか?
法律に守られていることはなんだろう?
感情や衝動ではなく、事実を広くみて、全体像を把握できているだろうか?
わたしは、懲罰的世界観で生きるのではなく、修復的世界観で生きていきたい。
わたしの中にも、制裁したい、裁きたくなる想いが湧いてくるときも全然ある。被害者遺族の悲鳴のような訴えの声は、胸に重く響く。
それでも、考え続けたいなと思うし、自分の考えを持って、世界と対峙したい。

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