見出し画像

このドアを開けたら

子どもの頃、妄想癖があったので、よくいろんな設定をして遊んでいた。
一人か、たまに妹に付き合ってもらって。友だちと遊ぶ時に妄想癖を出すのはダメなことだと知っていたので、そういう時はなるべく出さない。
妄想の中では、わたしのことを100%理解してくれる友だちもいるし、飽きることなく遊んでいられた。
妹は「お姉ちゃん、誰と話してるの?」と聞いてきていた。たまに頭の中だけではなくて、口から音が漏れていたらしい。

このドアを開けたら、別世界が広がっている、というのが妄想の定番の一つにあった。
たぶん、あまりに現実が嫌だったからか、現実逃避の一つだったと思うけれど、学校の教室のドアを開けたら、そこは花畑になっている、とか、あのお店のドアを開けたら、そこはもう空で、わたしは空を飛べるとか、トイレのドアを開けたら、そこはわたしがお姫様のようになれる世界で、好きなことができるとか、そんな感じだ。
真面目に書き出してみると、かなりぶっ飛んでいるなーと思うけど、妄想はいくらでも広げられることができたから、どんなことも可能で、嫌なことは何もなくて、その時だけは幸せでいられたんだと思う。これは現実ではないと知ってはいたけれど。

おとなになってから学んでいくと、それは解離という現象だったということがわかった。つらいことがあると解離して、自分の空想の世界に入り込んでしまって、現実に戻って来られなかったりする。
だんだんひどくなると、自分が自分でないかのような感覚、あるいは夢の中にいるようなぼんやりした感覚にとらわれてしまったりして、現実の生活が困難になってしまったりもする。ごく一時的なものなら誰でも体験するらしいし、特別なことではないらしい。
自分ではどうすることもしていなかったが、10代の頃は、幽体離脱と言われるような自分自身を遠くから眺めているように、もしくは自分は幽霊になったように感じることもあったり、自分の体が自分のものではないように感じたりすることはあった。歩いてる時に歩いている足が自分のものではなくて他人のもののような感じになる、とか。そんな感じ。

今ここの自分を生きる、ということに自覚的になってから、自分の足が地についていなかったことに気づくようになった。
瞑想や呼吸の自己修練を始めるようになって、どこかに飛んでいってしまう感覚が少しずつなくなってきて、今ここにいられるようになって、現実が色味を帯びてきたような気がする。
(ただし、解離の症状がひどい場合には瞑想するともっとひどくなることがあります。専門家に相談されてくださいね)
妄想の中ではなくて、現実の人と関わりを持つことにも恐れがなくなってきた。前はどこか人が怖い感覚があったなーと思う。

今でも、このドアを開けたら、海が広がってるかも?!と想像するのは楽しいなと思うし、わたしの子どもたちが「〇〇だったらどうする?」と楽しそうに話しているのを聞くのも好きだ。
子どもの想像力の翼は、どこまでも飛んでいける。
わたしは今ここにいて、その翼で飛んでいく子どもたちが疲れたら戻ってくる場所になれたらいいなと思う。
安心して、飛んでおいで。



1096日連続毎日書くことに挑戦中です。サポートしてくださるとものすごくものすごく励みになります◎ あなたにも佳いことがありますように!