【208/1096】イヤな気持ちをしたときの、チャンス!

208日目。昨日は温泉でのんびりし、今日は一日家でのんびり。雨が降っていたので、読みかけの本の読書などして過ごす。
子どもがコチュジャンを見て、「これなあに?」というので、「コチュジャンだよ」と教えると「こっちゃんじゅ?」とかわいく言うので笑いそうになるが、「コ・チュ・ジャン、っていうんだよ。」とゆっくり教えた。そしたら「かつおちゃん?」と全然違う言葉が返ってきて大笑いした。平和だ。


呼吸・整体で身体をととのえる技術を教わってから、もっとも変わったことに、ネガティブな感情が湧いたときの対応がある。
心理的なアプローチやカウンセリングで、感情の浄化やディスチャージ(解放、放電)をしたり、認知を変えるワークなどやってきたが、
もっとも変化が起きたのは、身体をやったからだと思う。
(そして今は、心理系のセラピーでも、ソマティック(身体性)なアプローチが必要という流れもきているようだ。)

なぜなら、やっぱり感情は、身体の内側で感じているのもだからである。
自分の内側にもやもや、ざわざわしたもの、重いもの、痛みなどを抱えていたくないために、それをないことにして抑圧している。

いわば、冷凍庫で凍結して持っている状態にしているが、そのうち、冷凍庫もいっぱいになってしまって、整理しなくてはならなくなる、みたいなことが起きる。
対応方法が、凍結一択しかないと、凍結しては解凍され、凍結しては解凍され、何が凍結されているかわからなくなり、解凍したものを凍結したりして鮮度がどんどんおちるので、もはやなにを凍結したのかわからなくなる。
凍結するのは、その瞬間は必要だからその機能を使っているが、いつかは必ず解凍される。
凍結したままでは、分離されたままなので。
そして、凍結以外に、放出するという対応もあるが、これは放出方法によってはかなり攻撃的になる。疲れるし、消耗する。
放出は、他人に向けると人間関係を壊すことにもつながる。

わたしはかつて、この凍結されたものを、そのまま切り取って捨てられないか?と思っていた。
自分にとってはもう不要だし、解凍したくないのだから、凍結したまま捨てたかったのである。
どうして、切り取って捨てることができないのか?とずっとそればかり思っていた。これを捨てたい、捨てたいとばかり考えてぐるぐるぐるぐるしていた。
しかし、凍結したものは、全体の一部で、その一部だけ切り取って捨てるということは、命の構造上できないのだと理解して、ようやく諦めた。
もっと早く諦めたらよかったと思うが、自分にはそれだけの時間が必要だったということだな・・・。

身体をととのえると、身体にスペースがあく。
スペースがあいて、通路ができる。
凍結しているものが解凍されて、とおる道ができる。
あとはその道を通して、流しきる。
流しきると巡る。

凍結する、放出する以外の、流しきるという方法は、
自分にも他人にも地球にも優しい。
が、胆力と肚力がいる。
これを身体の技術で、相当補うことができる。
ビバ!身体。

前置きが長い・・・。
イヤな気持ちになったとき、なにがチャンスなのか?ここから本題。

このあいだ、久しぶりに人と話をしているときに、イヤーな気持ちになった。
端的に言うと、「は?なんだ、こいつ?」と眉間にしわを寄せたくなる感じ。
私はこういうことを思うことがあまりなく、
わたしのパターンとして、なんだこいつ?と思う前に、私が何かしたのかもしれない・・・と自責→他責の順でモヤるのがあったからではあるが。
(その場でとっさに怒りを出せないパターンですな。)
自責しなくなったので、パッと出たのかもなーとくらいは思った。
しかし、このイヤな気持ちが来たときに、同時に
「きたー!きたー!」とチャーンスというワクワクもあった。
これを流しきるをやるチャンス!!!がやってきた!という。

で、やってみたら、もっと面白かったのである。
前だったら、イヤな気持ちをさせられた相手がイヤになった。
それに、その場でイヤな気持ちは出しちゃいけないと押し込めるから、そのあと、しばらくイヤな気持ちがずっと続いていた。
夜寝る前に思い出して、歯ぎしりするほど悔しくなったりとか。
何日もそれを引きずってることもあったし、ひどいときは何年もそのイヤなことを思い出してはイヤになり、思い出してはイヤになりと繰り返したりした。
つまり、そのくらいのじとーっとした念を持つタイプであったわけです、はい。

しかし、身体で流しきったら、まず、その場でもうイヤな気持ちが残らなかった。
そのうえ、ものすごく不思議だが、そのイヤな気持ちを味合わせてくれた相手に、感謝が湧いてきた。
ああ、もうこのイヤな感じを感じるのも、生きてるってことだよな~とちょっと嬉しかったり。
イヤな気持ちになったら、どのくらい自分が流しきれるのか?体験できるってことじゃん!というかなり前向きな気持ちになるということが起きた。
イヤな気持ちがして、感謝したり、嬉しくなったり、ワクワクしたりするとは思ってもいなかったのだが。
そんなこともあるんだなーと、面白かったのである。
もちろん、イヤな気持ちをさせられた相手を好きになるわけではないけど、いつまでも「アイツめ~」みたいな念を送り続けることもないし、そんな念を送っている自分を貶めることもない。

もちろん、何事も程度はあるので、自分の尊厳を侵されるような暴言を吐かれたらこんな風にはいかない。
すべてのイヤなことについてこうなる、というわけでもない。

でも、まあそのような変化があるというのは面白い。
そして、次にイヤな気持ちになったら、どんなことが起きるかなーとまたその体験ができるチャンス!と思うようにした。

では、またね。






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