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【644/1096】それでも人生にイエスと言う

V・E・フランクルの「それでも人生にイエスと言う」を読んだ。

フランクルと言えば、「夜と霧」であるが、この「それでも人生にイエスと言う」はフランクルが戦後に行った講演をまとめたものらしく、「夜と霧」よりも、かなり読みやすかった。

「夜と霧」は訳者を変えて新版が出ているが、両方読み比べるのがおすすめ。
読みやすいのは新版である。が、霜山 徳爾の翻訳版のほうが、文体が旧く読みづらさはあるものの、真実味がこちらのほうがある。霜山版のほうが、当時のリアルタイムにより近いからではないかと思うが。

「それでも人生にイエスと言う」を読んで、そもそも自己肯定感が高いとか低いとはなんなのか?と思う。

「自分がありのままでいていいと肯定する感覚」を自己肯定感と言うそうである。
が、そもそもその問いを発することに意味があるのだろうか?と思った。
つまり、「自分はそのまま存在している」ことを疑っていて、だから、肯定したり否定したりして、自己肯定感が高くなったり低くなったりしているわけである。
そもそも、その問いは、誰から出ているのか?

フランクルは、この本の中で

私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから謝っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。

と書いている。
「人生にまだ何を期待できるか?」ではなく、
「人生は私になにを期待しているか」を問うだけである、と。

だとすれば、自分がありのままでいいかどうか、を問うこと自体が間違っている。

必要のないことをして、無駄に時間をつぶしてしまうのは、よくやることである。
問いはよくよく吟味しなければならない。
答えなくてもよい問いに、答えを出そうとして空回りするのは本当によくやってしまうことなので。

フランクルは「問題とは、その人がどんな人間であるかだけ」と書いている。だから新しい人間性に到達しなければいけないと。70年以上も前(1946年)の講演である。
強制収容所での壮絶な人生体験をもとにした講演の記録が書かれているので、読みながら、なんというか、ちょっと違う次元にいるような感じがした。

自分の人生からの問いに、答えること。
それが、存在するということ。
生きる意味をそれぞれの存在において、実現する。
言葉だけではなく行動によって。

では、また。




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