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【563/1096】おうちで性教育~ジェンダー

今日は、おうちで性教育 第5回「男らしさ、女らしさ」についてを開催しました。

男らしさ、女らしさは、ジェンダー(社会的、文化的につくられた性別)に深く紐づいている。
大人になっている人は、多かれ少なかれジェンダーバイアス(偏見)に塗れているわけで、その自分の当たり前に気づくには他者と対話することがとても大切だと思っている。

というわけで、今日は、子どもからこんなことを聞かれたら?というテーマを用意して、まず自分がこれを言われたらどう思うか、どう考えるか、そして、子どもにはどう伝えるか?というのを対話をしながら、練習していろんな気づきが得られて、面白かった。
また「終わったあと、家で子どもと話してみたい」という感想をいただいたのも嬉しい。

私自身も、ものすごい偏見塗れの人だったし、今も気づいていないがたくさんの偏見を持っていると自覚している。
うっかり言ってしまった言葉で人を傷つけてしまう体験は数限りない。人を傷つけてしまうことはつらく悲しい。
けれども、その体験があったから、一度知ったことは、知る前には戻れないということと、どんなに想像力を働かせても当事者の実感にかなうことはないということはいつも肝に銘じることは覚えた。
私はシスジェンダー(体の性別と心の性別が同じ)でヘテロセクシャル(異性愛者)なので、この属性はマジョリティである。マジョリティは、「普通」にしていたら、マイノリティに対して、容易に暴力的な関わりをしてしまう。自分の普通を押し付けて決めつけるから。
それがあまりにも当たり前だからだ。そのことを知って、謙虚さを忘れないことがとても大切なのだ。
そのことを私はトランスジェンダーで、ホモセクシャルの人たちから身をもって学んだ。実際に会って、話をして、傷つけてしまったこともあるし、自分の好奇心からぶしつけなことを聞いてしまった失敗もある。
そのとき、私は彼らをすごく遠くの存在にしていて、同じ人間という存在であるということの実感が薄かった。でも、話をして「同じなんだ!」と目から鱗が落ちたときに、バイアスがぼろぼろとはがれていった。

ジェンダーバイアスは、世代を超えて受け継がれているもので、繰り返し、繰り返し、意識的にまたは無自覚に刷り込まれている。
うちの子が5歳の頃、「赤いシャツを着ているのは女の子だよ」とからかわれて、「もう着ない」と言ったことがあった。そのあとも、小学校でたびたび、友だちから「それは女みたい」「こういうのは男は使わない」というようなことを言われる。
もちろん、その子どもの友だちたちは、自分の親や祖父母からそれを受け継いでいるわけである。

自分の好きなものを好きでいてはいけないと決めつけられるのはつらいことだ。
言い返すのには練習が必要で、我慢してひっこめてしまうと、ジェンダーバイアスの繰り返しは断ち切れない。
すぐにできなくても、練習することで、自己肯定感を育めることもある。
自分を守るために一緒に考えてくれる人がいるというのは心強いことだから。

自分が決めつけられるのはイヤなのに、他者に決めつけをしてしまう。
決めつけられてそれを我慢して引き受けてきた人は、自分より弱い人にそれを吐き出す。
「女なんだから」「男なんだから」と言う人のその背景には何があるのか?を考えて対話するのは、ずっと決めつけられてがんじがらめになっているときにはできない。
怒りや悲しみ、憤りがわいてきて、葛藤している状態になるから。
対話は、どんなに相手が嫌いでも、まったく同意できなくても、この人がこれを言う背景はなんだろう?と相手の事情を考えられるかどうか?で成り立つ。
それができる状態に自分をしておくことが、対話する必須条件だと思う。
大人がそうなっているか?が、子どもに全部伝わる。

性教育だけに限らないけど、性的なことはものすごく対話が難しいのは、どこまで向き合ってととのえたか?が如実に出るからではないか?と思っている。
そういうことも性教育の一環なのではないかと思う。

来月は、5月19日です。
テーマは「ネットの中の性とどう向き合うか」をやります。
ネットは自分たちの子ども時代にはなかったツールなので、子どもへの伝え方も迷う人多いのでは?ぜひ一緒に考える時間になればと思います。

https://ouchideseikyoiku.peatix.com/

では、また。


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