見出し画像

正直であるために必要なこと

どんな人と一緒に仕事したいか?みたいな問いをもらった。
共創するとしたら、どんな人たち?
「自分に正直な人と一緒にやりたい」と答えた。

わたしにとって「自分に正直」とはどんな風なの?
と問われたので、考えてみて、浮かんできたことは

「自分の真ん中ぴったりから、自分を開いて、そのまま出して表現しようとすること」

っていうことだった。

必ずしも、真ん中ぴったりにいつもいつもあるわけではないのだけど、出来る限り、そうであろうとして、今その瞬間にそこから出すということ、そういうところで交流したら、何か起きるという気がしている。

それが共創するってことかなと。

そういう瞬間を何度か経験したのだけど、ぴったり合ったな、という時に、1人ではできないことができる、とか、不可能だと思っていたことが可能になるということが起きた。

わたしはその瞬間を体験したい。もっともっと。
そのためには、そこに居続けるわたしである必要があるし、そういう人と一緒にいる必要があるなと思う。

偽りや仮面で塗り固めて、ガードしていると、正直にはならない。

嘘をつかないとか、隠し事をしないとか、秘密を持っていないとかそういうことではない。
思ったことを全部口に出してしまうとかいうことでもない。
そういう人が正直かというと、そうではないのだ。

正直な人とは、とことん自分と向き合って、自分を捉えていて、他人にどう言われるか、どう思われるかということで、自分の考えや行動を選ばない人のことだと思う。
それにはけっこう勇気がいる。
正直である人は、自分軸を貫きながら、他者を尊重する。

自分軸があっても、それを使って他者をコントロールしていると、それはただの自分勝手、わがままになってしまう。
自分が中心にありながらも、他人への尊重がある状態。
これを実現するのに、やっぱり体力がいる。基礎体力。
肉体的な体力もだし、精神的な体力もいるなと思う。

そして、自分が正直でいられる人と一緒にいるということが大事だ。
心理的安全性というのは、ダメ出しされないということではない。
ダメ出ししても大丈夫だという信頼がある状態のことをいうのだ。自分に対しても相手に対しても。
厳しいフィードバックを受け入れられる状態がある、というのが心理的安全性である。いいよ、いいよ、OKだよと言い合うのが心理的安全性ではない。

そのための土壌は、自分に正直であり、他者に対して正直に開けるかということであり、それができる人と一緒にいるというのは大事だ。

厳しいフィードバックをしたら、攻撃してくるだろうなとか、攻撃されたと思うだろうなと思うと、そのフィードバックをすることはできない。
自分の安全が確保されないし、相手の安全も確保されないから。

ここはけっこうわたしにとって、ハードルが高くて、チャレンジのエリアである。
だからこそ、その場面が増えているのだろうという風に思っている。



1096日連続毎日書くことに挑戦中です。サポートしてくださるとものすごくものすごく励みになります◎ あなたにも佳いことがありますように!