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【10/1096】気持ちの良い深呼吸のすごさ

10日目。二けたになりましたよ。ドキドキ。継続、できておる。でも、なんか「あ、なんも書くことない」に襲われて、やべっとなる。
タイトル考えて一日終わったらどうしよう、とか。そんなこんなです。

さて、今日は深呼吸のお話。

気持ちの良い深呼吸、してますか?

どんな深呼吸が気持ちいいと感じますか?

どうでしょう?即答できる?

身体に一切の不快がないと言う人、あんまりいないんじゃないでしょうか。
かく言う私も、もちろん、不快のオンパレードでした。前にも書いたけど。
頭痛、肩こり、腰痛、背中痛い、膝痛い、腕が重い、足がだるい、そんな不快を放置している人は驚くほど多い。
なんなら、不調不快の自慢話になっちゃったりする。いかに不調なのか、不快なのかを話し始めると、止まらないとか。

さすがに病気やけがになったら、病院行ったり、なんらか対処する。
その前に、マッサージ行ったりもするかも。
それで一瞬、軽くなったりして、ちょっと不快がましになって、しばらくするとまた不快。そして、不調、そして病気。

そういうことないでしょうか。
わたしは、ありまくりでした。

そんなに不快なことには、寛容なのに。

どんなに不快でも、まあこれぐらいとか我慢したりして、そのうち不快なことにも気づかなくなるくらい麻痺させちゃったりするくらい、寛容なのに。

快になるのは、なぜにそんなに不寛容なのか?!

疑問です。。。

気持ちのいい深呼吸。

それがわからなくなるくらい、快に鈍感。

自分が気持ちよくなることに、なんか罰でもあるんですか?というくらい。

というわけで、どうせなら、不快を一切許さないで、
自分の身体が快である状態を許そう、と思ったわけです。

それで、深呼吸です。

深呼吸をする、のではなくて、引き出される深呼吸というのをやっています。(やっている、というのもおかしい。引き出されちゃうので)
わたしの学んでいる、呼吸・整体でシェアされているワークにあります。
(わたしもシェアリストとしてシェアしています。)

これがたいへんに奥深くてですね、すごいです。

ただ、深呼吸を身体に応じてしているだけ、なのでありますが、
ものすごい落ち着きと、静が構築されます。
自分の身体から圧が抜けて、真ん中にいやすくなる感じ。
その状態でいると、とてもクリアです。
瞑想やった後と同じかそれ以上です。
というかこれはもう瞑想です。
(創始者の森田先生はそうは言ってないが、わたしはそうだと思ってやっている。)
しかも、瞑想はたいてい難しいのですが(やった気になるが、実は瞑想になっていない瞑想は多い)、これは本当に簡単な動きだけで余計なことやらないで、観察しつづける力をつけることができるのがすごいのです。
ぜったい誰でも、やればできるようになるというのがすごい。

やるか、やらないかだけ。

自分に気持ちのいい深呼吸を許してあげると、どこまでも気持ちよさを探求できます。
一瞬一瞬、動き方の違いによっても、変わる質感が面白い。
わたしはこれやると、人間とはこんなにも尊い存在であった、と思い出せるのです。

自分の魂がこの身体を選んでやってきたとすれば、この身体をどのように扱って、どのように快にして、器をととのえるのか?は、すごい大事です。
なぜって、ノイズだらけの身体だったら、ノイズ処理に追われて終わるからです。
かつての私は、ノイズだらけの上に、ノイズを生み出しまくって、ノイズだらけになっていました。
ノイズで散らすのが大得意(笑)みたいな。
(ノイズというのは、快と不快の両方ではありますが。)
ノイズを身体に反映させないでいると、ノイズは身体にとどまらずに流れていってくれるのだ、とわかります。

ただ気持ちの良い深呼吸をしているだけで、自分の心と身体が平和になります。

というわけで、今日は深呼吸のお話でした。
近々、深呼吸のシェア会やろうと思ってます。(←宣伝)

ではまたね。





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