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【823/1096】本心を知る、観る

昨年から熱心に励んでいるものの一つに「本心を観る」というのがある。
自分の本心を知っているようで知らないし、ましてや人の本心などはわからないとなりがち。
でも、これは観ようとしていないからだということがよくわかった。
観ようとしたからと言って、すぐさますべてがつまびらかになるということはないのであるが、やはり、観ようと試みることは大事である。

ありがたいことに学ぶ場があり、自分や他者の本心に触れる、知る、観るということを体験として積み重ねている。
学ぶ場で一緒になった仲間たちと、自主練も始めた。
こういうことはやはり数(量)も大事なのだ。

自分が何をしているか?
そして、何を習得しようとしているか?
それをまず知る。
知ったうえで、どうすればよかったか?どこを修正するといいのか?分岐点は?などを検討する。
仲間とやると、かなりよいなというのが実感。

自分の本心を知るというのは、自分の足るを知るというのにとても役立つ。
本心を満たすことが、自分の足るなのだなあとつくづく思う。
そこが満たされていれば、外からどんな攻撃がやってきたとして、傷ついたとしてもすぐに回復できる。
というか、そもそも傷ついてなかったのだなと気づく。
そこは誰にも傷つけられない場所なのだ。
その体験をこの年末年始に実感した。

振り返ると、私は自分の本心を隠そう、隠そうとしてきた。
「本心を知られたら、やばいことになる」という謎の恐怖にずっと脅えていた。
たぶん、幼少期に自分の思っていることを言うと、不都合が起きることが多かったのだろうと思うけど、実際はどうだったか今や不明。
そして、自分の内側の本心ではなくて、外側の誰かや環境に合わせることをがんばっていたので、自分の本心がさっぱりわからなくなってしまった。
これが、ずっとあった「嘘をついているわけではないが、正直でもない」という感覚になったと思う。
いつも自分とズレていると言う感じがしていた。

今は呼吸・整体のおかげで、そのズレを感じることはなくなった。ほんと身体と呼吸のおかげさまさまである。
ズレはないが、隠していた本心は隠したままではね、ということで、自分の本心を観るというのに取り組み始めたわけである。
隠していたものは、いつのまにか現れてくれるということもあるが、やはり観ようとするのが大事だと思った。
観ようとするから、現れてくれるということも往々にしてあるから。

そして、これをやっていると、カウンセリングの質が上がるという副産物があった。
自分の本心が観えている分だけ、相手のことも観えるようになるということだ。
相手のことは自分が観えているものを全部お伝えするということはないけれども、解像度は変わった。

自分で自分の機嫌をよくする、というのは、自分の本心を満たすということだ。
日常でこれほど大事なことがあるであろうか!
これをやりはじめてから、日々の自分のメンテナンスが格段に向上したなと思っている。

ちなみに、自分の本心を知る、観るサポートは、個人セッションでやってます。

では、また。


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