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手前味噌を仕込む

今日は、手前味噌づくりをした。
味噌を自分で作り始めたのは、15年くらい前だ。
病気で、会社を休職していて、1年半くらい経っていて、自分は会社の仕事に復帰できると思っているけど、ドクターがいい顔しない、みたいな理不尽さを感じていた時だった。休職し始めた時は外に出るのもできなかったが、この頃にはもう近所は全然歩き回れて、買い物もできるようになっていた。医者から天気のいい日は、午前中に散歩した方がいいと言われていて、当時は荒川の近くに住んでいたので、土手を2−3時間歩けるようになっていたので、元気だった。人に会うのはなかなか億劫だったけど。でも、休職しているのに好きに外出するのは、後ろめたさを感じてしまって、散歩と日常の買い物以外は家の中に籠りがちだった。だから、家の中でできることで、やってみたことのないことに挑戦する、というようなことをしていた。
そんな中でも家仕事は、意外とやっていないことがあった。
味噌作りもその一つである。その年は、味噌を自分で作るのをやってみようと思った。
通販で、なんでも買える時代でよかったと思う。外出しなくても、なんでも揃う。味噌の作り方もネットで調べて、道具などもネットで揃えた。初めての味噌作りだったが、無事に半年後くらいに食べられるものになり、自分で作った味噌は、こんなに美味しいのか!と驚いたものだ。
なにがどう違うのかはわからないが、とにかく美味しかった。
ただ、生野菜につけて食べるのでも、全然違う感じがした。

味噌や、梅干しや、漬物をやってみるようになった。少し手間をかけて、時間をおいて、そして食べられるもの。
味噌を作るのは、やってみると、そんなにものすごく難しい工程というわけでもない。大豆を水に一晩浸して、次の日、煮て、潰して、麹と塩と種味噌と一緒に混ぜて、容器に密閉して重石をして入れる。半年後くらいから食べられる。重石をした後は、カビが生えていないか、時々確認するくらい。
初めて作った時、結構、簡単なんだなー、と思った。だけど、育った家では、味噌を作るような習慣がなかったし、なんだか面倒そうだし、やり方もわからないし、とやるきっかけもなかった。

味噌の良いところは、出来上がるまでに時間がかかるってことだと思う。
今日、味噌を仕込んだところで、明日食べられる味噌になるわけではない。少なくとも半年、食べ頃になるには10〜12ヶ月後まで待って、食べることになる。それまで一緒に生活していくみたいな感じだなーと思う。
初めて味噌を仕込んだ時は、病気で先も見えなかったが、味噌ができるのを楽しみにしていたような気がする。あの味噌を食べるまではがんばってみよう、みたいな。そこまで大げさに、絶対あの味噌を食べるまでは死ねないと思ったわけではないけれど、先に少しの楽しみがあるというのは、希望がない時にはとても大きな支えになったと思う。支えにしようと思って味噌を作ったわけではないのだが、自分で自分の支えを作り出していたのだなと思うと面白い。
今年は、少し甘めの味噌になるような配合で仕込んでみた。子どもたちが食べやすいようにと考えたのだが、そういう工夫ができるのも、自分で作る楽しみなんだなと思う。

丁寧に暮らす、ということは、こういう少し手間がかかることを日常に組み込んでやれるということもあるのではないか。
仕事に追われて毎日終電で帰宅するような日々であった時、わたしは、とても丁寧に暮らしているとは言えなかった。自分のことは全部後回しにして、暮らしはできるだけ無駄なく、効率よくするために工夫していた。
今から思うと、暮らしは殺伐としていた。今の方が、ぜんぜん仕事の量は少ないから、当然と言えば当然だが、あの頃に比べると丁寧な暮らしをしているなと思う。
丁寧な、というのは、別に穏やかで、清く、美しいというわけではないけど。雑誌で見る丁寧な暮らし、というのとは程遠いのだけど。
一つ一つ、全部丁寧に、ということにはまだなっていないけど、ちょっとずつそのようにしてきたのだなと思って、ホクホクしている。
自分がホクホクしていられるのは、楽しいし、幸せだなと思う。

今日、仕込んだ味噌は、次の冬が来る頃に食べられるかなー。
また楽しみが一つ。


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