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逢坂冬馬著「同志少女よ、敵を撃て」/戦争の真実とその虚しさを描く大作。

長男から激推しされた本を読みました。
凄い本でした。
1941年〜1945年に及ぶ独ソ戦で戦地に立った女性兵士や従軍看護婦の真実の姿に迫った超大作。
逢坂冬馬氏のデビュー作というから驚きです。
アガサクリスティ賞、本屋大賞受賞。2022年の直木賞候補作。

<story>

人口30人程度の小さな村で狩猟をする母と幸せに暮らしていた少女セラフィマは、母と共に小高い丘で狩猟中、銃声を聞く。
眼下を見ると村人たちがドイツ兵に並ばされ全員射殺されるのを目の当たりにする。母親がドイツ兵に銃を向けた瞬間、母親も撃たれる。
味方の女狙撃手イリーナに助けられるものの、亡くなった母の遺体に野蛮な仕打ちをされた挙句ガソリンをかけて村もろとも焼かれた。その事と、ロシア兵への怒りが、セラフィマがやがて優秀な狙撃兵となるための心の支えとなる。

あまりに凄惨な戦場の様子が巧みな筆致で描かれており、戦争小説なんて読めるのだろうかと思っていた私なのに、見事に引き込まれ500ページにも及ぶ長編にも関わらず前のめりになって読み進める事が出来ました。

普通の暮らしをしていた普通の人々が、何故人を標的に殺し合いをし痛みに悶え苦しみ命を落とさなければいけないのかと、その理不尽さに終始震える思いで読みました。
また、今も続いているロシアウクライナ戦争とも重なりこれが戦闘の現実なのかと、今平和に暮らせている日本人にとって想像し難い恐ろしい現実を見せつけられた気がしました。

これから書く内容は、今後この本を読む予定の方は絶対に見ないで頂きたいです。
それなら書かなければいい訳ですが、書かずにいられないのです。ごめんなさい。

✳︎✳︎✳︎

以下、ネタバレあり。⚠️
全てを書く訳ではありません。
結末は省きます。
私がとても心に引っかかったシーンが2箇所あったので、それをご紹介します。

◆その1◆
優秀な狙撃兵として活躍していたセラフィマが、村での幼馴染みであったミハイルと奇跡の再会をした時の会話。(互いに生きているとは思っていなかった)
仲間の兵士が、捕虜の女性を弄んだ事を自慢していた事に猛烈に腹が立ったセラフィマが、「それも仕方ないのだ」(同調圧力があるから)と言い訳めいた事を言ったミハイルに食ってかかるシーン。
女性蔑視も甚だしい。絶対に許せないと怒り心頭なセラフィマに、ミハイルは言い放つ。
40人も人を殺した君がそれを言うのか?」と。
恨みを晴らすために行う人殺しは正義なのかと問われたのだと私は思いました。
確かに、強姦は規則違反であり、敵を撃つ事は表向きは正義。しかし、セラフィマは、その正義を実行し狙撃手として生きる事で大切なものを失っていたのではないか。
強姦はいけないが人殺しはいいだなんて、本当はそんなはずはないのに。
人の心はこんな風にして洗脳され、また、そうしなければ生きていけない、それが戦争というものの恐ろしさなのかと虚しさでいっぱいになりました。

◆その2◆
300人も敵を打った女狙撃手、リュドミラ・パヴリチェンコ(実在の人物)との邂逅を果たしたセラフィマは彼女に「戦後、狙撃手はどのように生きるべきか」と問う。
「愛する人を見つけるか趣味を持つと良い」と答えるパヴリチェンコ。
その答えに違和感をもったセラフィマは、さらにその真意について質問する。
パブリチェンコの答えは、
例えば優秀なネジ職人は、ネジを作る時に何を考えているかと問うと、何も考えていないという。
欲望に囚われずただ無心に技術に打ち込むだけ。職人にとってはそれが幸せなのだと。
リュドミラもまた家族の仇を打つ事にだけ集中して300人も撃ち止めた。(1人打つとスコア1となり、それはきちんと記録される)
セラフィマは深く納得する。
この大義名分を兵士たちは叩き込まれ洗脳され、狙撃に燃えるのかと腑に落ちた気がしました。

通常、「今」を生きる事は好ましい生き方であると私は思っていますしかし戦時下においては洗脳する時の教えのひとつとして都合よく利用されているのかもしれない…。
この恐ろしい心の操り方に私は戦慄を覚えました。

◆理不尽に泣けた場面◆
物語の後半、
捉えた敵兵士を脅し敵の情報を吐かせたあと、セラフィマは彼に「お前は子供の頃どんな大人になりたかったか」と尋ねる。
彼は、「サッカーのドイツ代表になりいろんな国に行って外国の選手と友達になりたかった。兵役がなければそうなったかもしれない」と涙を流して答える。
ソ連へ行き知らないロシア人を銃で撃ちまくりソ連軍に拷問される以外の人生が普通ならあったかもしれない。
セラフィマもまた、外交官になる夢があった。(セラフィマの夢は、ソ連とドイツの橋渡しをする外交官になる事だった。)
その会話を聞いていた全員が、殺し合いをしなければならなくなった運命に虚しさを感じた瞬間だった。

◆日本の今後◆
今、日本の防衛を強化する方向にいっている気がして私はとても怖い。
この小説の中でも出てくるが、「反撃」は敵の思うツボだと言う。反撃されるとさらに攻撃する理由が出来るから、敵にとって「反撃」は非常に美味しい事なのだと。

核武装の必要性を声高に言う人がいる。やられっぱなしではいけない。守るため、平和を維持するための防衛なのだと。

しかし、行き過ぎた防衛から戦争に突入する危険性もある。国民を守るために各国が軍備を増強し戦う人を作る事で人は本当に幸せになれるのだろうか?本当に国民が守られる事になるのだろうか?
大変疑問である。

セラフィマ達も、何十人も人を殺して英雄となったけれど、それは成り行き上仕方ない事だったけれど、それで幸せだっただろうか?
何故、自分たちが夢を捨て殺し合いをしなければいけなかったのか、考えた事はなかったのだろうか。

普通の少年や少女を悪魔のように変貌させてしまうのは何故だったのか。誰がそうさせたのか。
何故、誰のために戦争はあるのか。

各国が軍備を増強する世界は私には虚しく思えてならない。

それと同時に、
非常に話は逸れるけれども、
もう国がマスクを外してもいいですよと言っているのにマスクをし続ける日本人の姿を見ていると、
5類にした意味、コロナはまだまだ恐れなければいけない敵なのだと脅すマスコミや政府や自治体の裏の意味を分かろうともせず
もうマスクを外してもいいと国が言っているにも関わらずマスクを外せず未だにワクチンを打つこの国の人たちは、このまま戦争に突き進んで行ってもどこまでも従い続けるのだろうなと暗澹たる気持ちになりました。

私は、この本を、政治家の全員に読んで欲しいと強く思います。

ご興味のある方はご一読をお勧めしたい1冊です。

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