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上野誠著「万葉学者、墓をしまい母を送る」/著者の墓じまいの経緯と、墓の歴史について。

万葉学者である著者は、中学2年の時に思いがけず祖父の遺体を湯灌する作業を手伝わされる。亡くなった祖父を恐怖におののきながら風呂場まで背負い、母や親戚の女衆が、祖父の裸体を丁寧に洗う。ちなみに、男衆は絶対にしない。遺体の性別を問わず、湯灌は女の仕事だったという。

1930年、事業で成功した祖父が建てた墓は、なんと二階建て。当時その地域では群を抜いた豪華な墓であった。祖母曰く、昔は、縁談があった時は相手の家の墓を見て決めたものだという。

墓を守り続ける事は、今も立派な事だと思われているが、本当にそうだろうか?

そんな疑問から、著者は、墓の歴史を辿ってみた。
昔、土葬だった時代、埋葬地が分からなくなってしまう事が多かった。墓というものは、やがては匿名性を帯びるもの。死者を直接知るものがいなくなれば、忘れられていくもの。しかし、墓に記念碑のような石塔を建ててしまうと、いつまでも死者が匿名にならない。
よほどの名家でない限り子孫はそんなに永くは続かないもので、すると、祀り手を失い結局無縁墓になってしまう。

それであるのに墓を作るようになったのは、鉄道網や道路網が発達し石を安く輸送できるようになったから。加工技術の発達も後押しし、明治期以降急速に広まった。日清、日露戦争で戦死した息子を弔う時に、持てる経済力に応じて他家よりも少しでも立派な葬式をあげ、墓の大きさを競う風潮が広まった。

儒教を背景にした先祖供養こそ重要という隠れ蓑のお陰で、虚栄心を刺激され人々は立派な墓を作る事に傾倒していった。墓は、経済競争の勝利者のシンボルとなっていった。

歴史家フィリップ・アリエスは、19世紀に出現した郊外型の霊園タイプの墓地に着目し考察した。
墓地儀礼や墓参りは、実は近代に誕生した作られた伝統。
近代以前、庶民の遺体は教会の敷地内の大穴にただ捨てられていた。死者は、墓穴に入ると同時に特定の個人から匿名の1人になった。それ以前、個人の墓は王侯貴族だけが持っていた。
その後、疫病が蔓延した事から、墓地が疫病の源と考えられるようになり、衛生上の問題から、教会から遠い郊外に墓が作られるようになった。

著者曰く、墓石の流通など劇的なコスト低下により、個人が生きた証を顕彰する家族墓を生み出した。そして墓合戦へと発展していったのだと。
しかし、経済力を失えば、墓は分不相応な持ち物と化す。

ところで、私達は、人や出来事を記憶に留めておくことの大切さを常に説く。しかし、忘れる事だって、それと同じくらい大切な事ではないか、と著者は言う。

著者は父の没後維持管理が困難になった二階建ての立派な墓の墓じまいを済ませ、祖父や父や兄の遺骨は分譲住宅のような墓に眠っている。見栄の張り合いはもうなくなった。

近頃は、無縁社会の非常さがクローズアップされているが、かつて存在した血縁と血縁の有縁社会が、居心地のいいものだったかというと、そうは思わない。あれは、恐ろしい相互監視社会であった。私たちは、もう、後戻りは出来ない。

かつて、婚礼も葬式も、地縁者、血縁者者の協力がなければ出来なかった。しかし現在は、どんな葬式をしようが結婚式をしようがしまいが自由になった。

以上、抜き書きを元に私なりに纏めてみました。

✳︎✳︎✳︎

「死」は、誰も経験してない未知の世界であり、誰にとっても怖い事であり、魂が不滅である事を願うものだとは思うけれど、
私は、私の魂は、体が消滅すると同時に消えて無くなって欲しいと考えています。
子供たちや近しい人の記憶の片隅に、彼らが生きている間は微かに残っているだろうけれど、
やがて消えていく。(その証拠に、私達は、祖父母以前のご先祖様をほとんど知らない。)
でも、その事を、悲しい事だとは捉えていないのです。

生きている間に、いかに自分の人生を自分なりに輝かせる事ができるか。それが、1番の自分の課題。(それは例えば病気になって余命いくばくもないという状況になっても、です。)その事に尽きると考えています。

「湯灌」を経験した事がなく、興味を持って読んでみた本でした。
今は、葬儀はほぼ外注化が定着してしており、その恩恵は有り難い事だけれど、「死」にまつわる諸々の事を学ぶのも面白いものだと感じました。

ちょっと長くなってしまいごめんなさい。
最後までお読み頂き
ありがとうございました❤︎

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