親子関係に関する長年の葛藤と見えてきた答え。
うみのよう さんの記事が心に留まりました。
11年前に母が亡くなり父が認知症になり私に干渉してくる親がいなくなった今もまだ私の頭から決して消え去る事なく(いい意味でも悪い意味でも)
ふいにやって来るさまざまな感情。
幸せだった時、不幸のどん底だった時、全ての記憶の残像から逃れる事が出来ないでいました。
セルフカウンセリングが出来て、心は随分と楽になったとはいえ、どこまでも追いかけて来る親の見えない影に怯える瞬間もまだまだありました。そんな私にとって、ひとつの答えを見いだせたような気持ちになったのです。
ご了解を頂き、私の「何度も読みたい記事」マガジンに加えさせて頂きましたが、本日の記事でもシェアさせて頂きます。
うみのようさんの言葉は
時に重く、鋭く
心に突き刺さり
また優しく解きほぐしてくれる。
自分はこれでいいのだという安心感をもらえた気がしてホッとするのです。
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親子関係ほど悩ましいものはないと思っております。
愛情が深くても浅くても傷つく事が多く、その傷は深く、そう簡単に癒えるものではない。(私の場合、ですよ〜)他人との関係とは比較にならないほど濃厚で逃れようにも逃れられない。
肉体がこの世から姿を消してもなお完全に癒える事はないと身をもって感じております。(楽しい思い出もあるけれど、それを覆い尽くすような、noteにはまだ書いていない重い出来事と、それに付随する親のあり方に、いまだ納得がいかないです)
長年に渡って無意識に抱いていた親への違和感。亡くなって初めて自覚した本当の自分の気持ち。それに伴って顕在化した心の痛み。
それらを乗り越える…というより、抱えて生きていく事にしか、救いは見いだせない、その事にじくじたる思いがあり、どうにも心の霧が晴れない日々でした。
親の支配から解放されたと思っていてもどこまでも追いかけて来るネガティブな感情は、
それが血脈というものから来るものなのだと、、仕方がないのだと。
その事を、うみのようさんから教えてもらったような気がしました。
辛い作業だけれど、
きちんと心の中で親と対峙する事。
逃れられないものならば
受け入れるしかない。
否定しても、肯定しても、
傷は疼くけれど。
その事自体を受け入れる事、
それは、誰もやってくれない。自分の内面で処理するしかない孤独な作業。
でも、それが人生。
それが生きるって事。
そうやって
明日もまた生きていく。
別の世界へ旅立つまで、ただ黙々と生きていく。
そんな事を思いました。
「答え」なんてどこにもないのだけれど、落とし所が見えて来たような、そんな清々しい感情が湧いて来ております。
うみのようさん、素晴らしい文章(詩)をシェアさせて頂きありがとうございます。心より感謝申し上げます。
最後までお読み頂き
ありがとうございました❤︎