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なぜ憧れるのか

縄文時代というのが、野蛮だ
狩りをしたり、海で魚を捕って暮らしていた。と習った

それがまさか1万年も続いていたなんて
それも、そんな文化じゃない
現代の原型がもう出来ていたくらい
凄かったと言うことが、近年分かった。

でも、その野蛮だと言う事しか
分かって無い頃から、憧れていた

その世界にいたら、
私はどう生きていたのだろうか

そして、次に憧れたのは,江戸後期
ずーっと行ってみたいと思っている

みんなの普通が同じだったと言うし

私の何回か前は、丁稚奉公を経験している。
あれは、いつの時代だったのか

なんか明治の中頃って感じはしている。

そうやって記憶をよみがえらせると、
縄文の私
江戸時代の私の記憶はよみがえるのか

って、そこに存在していたかどうかだね

でも、縄文も江戸後期も
憧れると言う事は、やっぱりそこにいたのかも知れない
なんて思うこの頃

その時代の情報量は、今の何分の1って言うし

私は、のんびりしたいのか

やろうと思えば出来る
していないのは、自分

丁稚奉公の時もよく働いていた

私のDNAは、動く事が好きなんだろうか

もし、縄文にいたら
そう1万年もあるのだし
絶対に存在していたと思う

どんな生活をしていたのだろうかなぁ

と、今日もセカセカと仕事をする私である

拙い記事を最後までお読みくださりありがとうございます。 お時間ありがとうございました。 まだまだnoteがなんであるかわかりませんが、楽しく書いていきますので、今後も宜しくお願いします