自分に必要なモノは、自分でわかっている
2017年の暮れアタリから、一人で仕事していく上で、何かをやらなければと色々焦っていた
なけなしのやりたいことを無理矢理引っ張り出して、とりあえずの一歩を年明けに進んでみた
ここから始まった色々
何かしら掴める気がしたから…ではあるのだが
何か掴もうと本当に色んなモノに手を出し続けた
とは言え、都度その色んなモノを提示してもらえたのはホンマに幸運と言わざるを得ないが
確かに何かしら色々なモノを掴んできた
そのうち何をやっても同じモノを掴めと言っているのだろうなと思うし、集約されてきた感覚があるのだが
最近は…興味のないモノが激増している
興味のあるものしか興味がない…って当たり前の話ではあるが
自分にとって必要で重要なことは覚えていても
そうでないものは記憶喪失?ってな勢いで全然覚えられない、覚えていられない…というか片っ端から忘れていくと言った方がいいのかもしれない
『今を生きている』といえばそうなのかもしれないが
あっという間に出来事は過去へと通り過ぎて、必要なエッセンスだけが残り深く浸透する
そんな感覚は最近多い
『自分に必要なモノは、自分でわかっている』
という感覚…それは自分の好き嫌いに関わらず、自身にとって良薬口に苦し的であっても、必要なモノは必要だし、いくら甘露なモノであっても必要ないモノは必要ないようだ
身体に良さそうだーと言っても、自分に合わないモノは毒でしかない
その毒を飲めと言われてもゴメンだもの
そこを嗅ぎ分けるってのが
興味があるものしか興味がない…なんだろう
真面目で勤勉…がヨシとされてきたし、そうであるべきと長らく思ってきたから、なんでも真面目にやろう、やるべきだ!と
無関心で怠惰なのがイイという意味ではなく
興味が湧かないモノは必要ない…ってのが案外的を射てるんだなと思うのである
あなかしこ〜あなかしこ〜
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