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自分を責めてると、相手を責めるし相手にも責められる

まぁまぁ…色々あると自分はアンタとは違うと思って色々憤るわけだが、振り返ると自分にも同じ要素があったよなぁと思うわけだ

それってのは自分の中ではその存在を認めたくないし嫌なので『良識的』な自分という分厚い蓋をして見えなくしている

でも見えなくしているだけで、そこには依然として存在し無くなっているわけではない

でも分厚い蓋でみえなくしていると
その存在を主張するかの如く

不思議なことに、その存在は自分の外側の世界に現れる…でもそれに遭遇すれば自分はそんなことはしない、自分は違うと、ああすべきこうすべきと、それを見ては糾弾したり怒ったり異議を唱えたり憤っては色々忙しい

とまぁ…昔どハマりした出来事を、今振り返るとそのことに気がつけよってメッセージだったなと思うわけだ

それがあると人としてあり得ないという価値観で自分の中に認めてはならない不都合な事実だし

でもさ、あるモンはあるのだ
そのことを外側の事象を通じて自分の中にあると気づくと、あぁナルホドねぇ〜と腑に落ち

そういうことを、ただあるなぁ〜、あったよなぁ〜って認めると、事象は気がつけば消えていたりする

まぁ自分の怖いモノを自分の外側に作っちゃうのも同じ感じ感じだろうと思うけどさ

昔…今よりずっと自分を責めるのはお得意だったが、それと同時に自分を責めるのと同等に他人を責めてたし、自分も責められていた

最近は?随分と自分を責めなくなった
と同時に他人も責めなくなったら
誰も私を責めなくなった

上手くできているなぁ…ってね

誰かが誰かを責めてる風景を見ると

自分が言ってるとこの正しさがどうこうという話は、別にあまり興味はないけど

いつもこんなことを考えていんだよね

イタチごっこは自分から止めるしかないよねって

あなかしこ〜あなかしこ〜

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