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頭の中を変えるだけーってのが結構ムズイ苦行って話

ここ数日色んなアーカイブを聞くのにハマっている…すげーリフレクションして言葉を丁寧に受けとめながら会話するって、こういう感じなのね…とか色々新たに気づきながら聴く中で

知らない
知ってる
できる
身につく

は、違う…という話があった

人様にお話をするのも仕事の一つだけれど、話す時その情報を『知ってる』状態なら話はできても、それが『身につく』状態で話しているのとは伝わるモノが全く違うよね…と個人的には思う

まぁ…その話の延長ではないが

幼いころから、言わなきゃバレないんだから、思ってても言っちゃだめ…なんてコトを長らく教わってきたが、言わなくても内面は外面に投影されて何かと不具合が出るけどなぁ…と最近は思う一方

実際物質的なコトを切り替えようとすれば、目に見えて色々あるのかもしれないが

仮に頭で考えるコトを自分の中で変えたとしても、それが突如バレてボコられるとか…とんでもないコトになるわけではない、だから自分が決めたら即変えらる部類のモノではあるだろう

できるかできないかはともかく『困るコトをやめます!困ってから困ることにします!』と決めたところで、困りごとが雪崩の如くやってくるわけでもなし※やってみたが幸いホンマにやってこなかった

だけど、今まで困ったらどうしよう…と散々鎧とガードを張り巡らしていたら、その防御を取っ払うのはかなりの勇気がいるだろうと推測されるが

それ取っ払ったって誰にもバレやしないし、怒られやしない…ただ、取っ払った内面は外面に投影される…とは思うけどね

内面が自由になれば、外面も…ってやつよ

※やってみたが、困りごとってほとんど発生しなかった…というか心配しなくても都度対応すれば十分こと足りたってのが正しいかもしれないね

それでも、頭の中で長らくそれが正しいと考えてきたコトを切り替えたり、視点を変えたりすることは、恐れとか不安との葛藤があって思ったより苦行のようで時間がかかることのようだ

それをせっかちに任せて、超絶マキでやろうとするのは余程の変態なんだろうと自分を見ててそう思う

長らく長らく学んでいても『知ってる→できる→身につく』までの道のりは人それぞれ違うようだ…仮に10年経って一歩であってもそれは大切な一歩に違いはないのだから

近年…
『考えない、努力しない、頑張らない』
をモットーにしているが、困ったことはない…考え過ぎると判断を誤るが、直感は大抵正しいし、日々必要なことは淡々と進めるだけに過ぎない

仕事をどう捉えるかだって自分の自由
ライスワークだろうが
ライフワークだろうが
快適にヨロシクやっときゃいいじゃない?人生を、わざわざ不快にする必要もないさ位に思う社会不適合者だが

やはり…まったく困ってはいないから
不思議なもんだと思う

あなかしこ〜あなかしこ〜

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