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変化するモノ、しないモノ

執着しないといっても

何にもとわれることなく泰然自若に軽やかなのと
ただ元気な軽いノリ

とは違うし

誰にでも心を開き関心を持とうといっても

相手の関心に関心や興味を素直に寄せるのと
実はそんなに関心がなくても興味をもつことが良いからと思って積極的に興味を持つようなパフォーマンスを見せること

とは違うし

素直に正直が良いと言っても

わからないことを素直にわからないと言えるのと
考えることなくスグわからないということ

とは違うしなぁ…

こうありたい、こあるべきだ…にとらわれ
今の自分にできるようにするために

息を吸うように自分の都合の良いよう理解をすり替えて、そう外的に出来てるように見せる…ある意味処世術なのかもしれない

向き合うモノは自分ではなく、本能的に色々フタをして、いつまで経っても外の世界に向かってるんだろうな…自覚してないだけでさ

一般に良いと言われることは数あれど、それすら捉えようで容易に本末転倒したりもする

そんな数ある枝葉末節の話より

自然そのものもそうだが、自分も含め日々生きる中で自然とそうなるモノにいいもわるいもない

変化するもの
変化しないもの
を見極め区別して

それをそのまま受け入れ受け止めて、感情にも寄り添い調和していくか…そしてどう対応していくかなんだろうなと思うのだ

でないと感情を押し殺しつつ本音で思っていることと、やってることって一致しないよねと個人的には思う🤔知らんけど

でもまぁ…それはなかなか理解できないものだと

そんな話を今宵の学びの時間で聴いていたのだが
ホンマにそーだなと思う夜のひとときだった

あなかしこ〜あなかしこ〜

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