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転職・離婚・副業 ー世界は自分の中にあるー

はじめまして! マユ@社労士×デザイナーと申します。

50年以上前

2018年から社会保険労務士と子供服デザイナーのデュアルワーカーをしています。

趣味は、韓国ドラマとアニメを見ること
仕事の合間に見るのが楽しみです。

アニメ「キングダム」は大好きな作品
主人公の信の親戚にでもなった気持ちで、見ていて(笑)

ドラマもアニメも好きな理由は、自分の信念を、後押ししてくれているところ

それは、
「希望の持てる世界は、自分の中にある」これが私の信念です。

今って、
若い人もミドルも高齢者も、世代関係なく希望が持ててないんじゃないかって気がします。

鬼滅の刃もキングダムも
絶望の中から希望を見いだしてるじゃない?
勇気をもらいますよね。

そこで普段こちらのnoteでは
誰もが、希望を見つけて人生を全うできる」というコンセプトで執筆活動をしていきます。

今日は、自己紹介ということで

なぜ、普通の高校生だった女の子が、社労士とデザイナーの二足のわらじを履いてしまったのかを少し語らせてください。

父の死が人生を変えた

当時私は、地元名古屋の商業高校に通ってました。
それも、家から近いって理由で

こずかいを稼ぐためにバイトして、日曜日は友達と遊ぶ日々
進学校でなかったので、のんびりとした毎日でした。

3年生になって、進路についてまわりがざわざわしてきてやっと
「そうか、就職しなきゃなぁ」と思いながらも、先生に後押しされるまで動かなかった

しびれを切らして、先生に薦められるままアパレル会社に事務職で就職
このまま、誰かと恋におち、結婚して子供に恵まれて幸せになるんだろうなぁ

なんて、これからの山あり谷ありの人生のことなんか、知る由もなかったもんね

そして
社会人2年目 19才の時、父が病気で亡くなりました

私の中で何かが変わった
「人っていつか死ぬんだ」不死身だと思ってた父が死んだ

(悲しくて寂しい気持ち)をかみしめつつ
後悔したくない一生を送ろう」と決めた出来事でした。

ファッションの仕事に就きたい

19才で人生の目的を知っちゃってからは大変

家族、仕事先の先輩に相談、母校の高校にもお詫びをし会社を退職

どんな職種でもいいから、ファッションの仕事につきたいと

20才:名古屋モード学園入学
学費1年目は、姉夫婦が快く出してくれた

今思うと、27才の兄貴と25才の姉 姪っ子も生まれてた
給料も少なかっただろうに、よく出してくれた。
本当にありがとう(泣きながら書いております)

入学してからは、バイトと学校の往復
学費をバイトで稼ぎ、足りない分は母親が助けてくれた

当時の思い出で忘れられないのは雨が降った日、必ずバス停に母が傘を持って待っててくれたんだよね

バス停から家まで走ればすぐなのに…

なんとか、4年たち 卒業

晴れてデザイナーとなる

地元名古屋の子供服メーカーに就職

学生の時から、アルバイトでデザイン事務所にいたので、「できるっしょ」タカをくくってた

チーフデザイナーから、
「芋くさいわね」「これどうやって着るの?」けちょんけちょんにダメ出しの日々
自分の実力のなさに悔しくなり、とにかくがむしゃらに頑張ったんだよ

1年目は、5000型くらい絵型を書いてたと思う。
ほとんどボツですけどね。
夜中にガバッと起きて、デザインの絵型を書いたこともあったっけ

2年目くらいから、だんだんわかるようになって、仕事らしくなった

そして、仕事の楽しさを知りました。
厳しく育ててくれたチーフデザイナー、課長、部長のおかげだと心から思う

「ありがとうございました」この気持ちしかない。

この会社の経験が、今でも仕事に恵まれている礎となっています
最初に入る会社って本当に大事だと思う。

結婚しましたが、、、

35才に結婚を機にフリーのデザイナー
一生懸命がんばった甲斐があって、2年目に年収1000万円に到達
こんなに稼げるの?フリーって
第1次天狗時代の幕開け。

これがずっと続くと思ってた。
バカだね!

もひとつある
旦那さんが働かなくなった

最悪のパターンでしょ

仕事があるうちは、なんとか生活できたけど
だんだん、細くなるんだよね。仕事って
いよいよ食えなくなった さすがにヤバイ

45才 「なんか資格とったらどうだ」って旦那

自分が勉強すればいいじゃん 暇なんだし

勉強苦手なんだ

不思議と説得されて
社労士の試験を始める→3回目で合格
勉強すごくがんばった 最後は気合でした。

家計はといえば、仕事もそんなになかったから、
その時点で、借金5〜600万はありましたねー

離婚 再びデザイナーとして再就職

48才:離婚
目が覚めた この人と一緒にいたらダメだ

以前にお世話になっていた社長に直談判をして、再び、デザイナーとしてメーカーに就職 良かったー

実は、社労士の仕事は未経験で開業する勇気がなかった(ここが私の弱いところ)

とにかく、食べていくことを優先しました。

社員旅行で台湾へ

その1年半後、社員から業務委託へ、働き方を変更してくれた
入社するときに、社長には、社労士資格のことは伝えていたのでスムーズに移行できたのは良かったです。

デザイナーをしながら、社労士事務所に短時間勤務のパートで雇ってもらって、約1年後、開業独立にいたる


これからの

現在は、社会保険労務士とデザイナーの2足のわらじでストレスなく、過ごしています。

この30年で、ずいぶん変わったなと感じることがあります。
それは、結婚して、子育てそんでもって、1つの会社で勤めを全うしている友達が普通

わたしみたいな人間は、レールを外れた人なんだ
だって、転職 結婚は失敗 子供もいない 不安定な自営業 お一人さま

違ってた

  • あー自分でよかった

  • 人生っておもしろいじゃん

  • レール外れたとか何ともない

って、心から思えるようになりました。
それもこれも、まわりの人に助けられたおかげです。


今は、先が見えない時代で、副業とか転職 どうしようかなって悩んでいる人多いですよね。

私もそうだった
当時は、不安だったもん

Noteは、人の過去・現在・未来をお伝えできるサイトだと聞きました。

それならば、不安を抱えながら毎日を過ごしている方に少しでも力になれたらいいなと始めることにしました。

私のnoteでの話すことは、方法論でも崇高な考え方でもなく

誰もが、希望を持って、一歩前に踏み出せる少しの勇気
まわりの人を頼ってもいいと思えるような記事

過去・現在・未来を語ります。
何か感じていただける事があれば嬉しいです。

これからも、マユ@社労士×デザイナーの発信をのぞいてみたい!
と思っていただけた方は、ぜひフォローしていただけたら嬉しいです。

それでは、また記事でお会いしましょう。

ありがとうございました。


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