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自分だけが頼り②

「自分だけが頼り」と思って生きている人は多いと思う。

そして、逆境にある人の方が、順風満帆で生きてきた人よりも「自分だけが頼り」と思っている。というよりは、そのことに気づいているような気もする。

他人を頼りにすることも必要なんですよと、優しい人たちは言う。ひとりで頑張ってないでみんなで分けあいましょうとも言う。それは偽善でなく、本当に善意から言っているのだけれど、「自分だけが頼り」の人にその言葉はたぶん届いていない。

本当に「自分だけが頼り」と思っている人は、精神的な支援より物理的な支援を求めているからだ。「同情するなら金をくれ!」である。
そして「他人を頼れ」という人はだいたい精神的な支援を提供しようとする。

もちろん経済的には自立してるけど、精神的な支援が必要な人も多くて、それが社会問題になってることも知ってるけど、ちょっと横においといて。生活すること、生きることが大変な人の場合。

シングルマザーの友達がいる。この友達は20年間ずっと「誰にも頼れない」といい続けている。
小児麻痺で四肢が不自由な叔父がいる。叔父は私が物心ついた時から知る限りずっと「自分だけが頼り」といい続けている。

彼らが、本当に困った時に必要だったのは、話を聞いてくれる友人ではなく、明日食べるお米であったり、今月追い出される施設のかわりになる住居だったり、働ける職場だったり、子どもの面倒を実際に見てくれる人だったりした。

明日のご飯がなくて困っている人に「話を聴く」という行為は時間潰しでしかない。話を聴いてもらってもお米は涌いてこない。

元カレの話だけど。彼はさんざん「話を聴く」という人に「話」をして、何らかの援助が受けられるわけでもなくたらい回しになり、借金の清算をするために自分で自分にガソリンをかけて火をつけた。

自己破産したらよかったと思う。それを勧めた人もあったはずなのに。
借りたところがヤバかったとか、男としての矜持だとか、妻子を守りたかったとか。他人はしめやかな顔をしていろいろ言った。

彼がなんで死んだのかは、もう誰にもわからない。
わかっているのは、「話」では解決しなかったから生きていられなかったということだけだ。

だからといって、一般市民ができることには限界がある。私は、シングルマザーの友達に経済的な援助はしない。せいぜい遊びに行くときにおやつを作っていったり、シングルマザーが受けられる福祉の情報を渡すくらいのものだ。叔父に至っては、ほんとになにもしていない。

なにもできないことがわかるから、話も適当に聞いているのだが、傾聴しないからこそ話せるということもあるようだ。
意見や感想を言わない、しっかり聴こうとしない人だから話をするというのは、自分自身に話をして考えをまとめようとしているだけだ。

頼りにされていないんだろうけど。
頼られても困るけど。

でも。でも。でも。

私もいまは「自分だけが頼り」と思っているけれど、そういう人の末路は力尽きて死ぬしかないことも知ってるから、やっぱり他人にも頼りたいと思う。

他人というか個人ではなく福祉。

歳をとって体が不自由になったら、ちゃんと施設で面倒見てください。旦那さんやうちの子の面倒もお願いします。
それまでは、できるだけご迷惑をおかけしないように生きていきます。税金も納めます。その時にまとまったお金はないかもしれないけど。
よろしくお願いします。

オッケー!任せろ!

そんな風に、自分の生きている社会を信頼できる世の中になれば「自分だけが頼り」っていう人も気持ちが落ち着くだろうし、素敵だなぁと思う。

だって。力尽きて死ぬとか絶対に嫌だ。
人は必ず死ぬのだから、笑って死ぬのがいいに決まっている。

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