時間の浪費
自堕落と言われても…ねぇ。
今日は、時間を浪費していると言われた。
時間があるなら、資格をとるとか社会に貢献するとか働くとかできないの?となにか悪いことをしているかのように責めるのだ。
自分を甘やかしすぎてるとか
自堕落だとか
もっと社会貢献を考えるべきだとか
今の私には「何かになりたい」というものがない。
最近は「こういう人になりたい」というものもなくなった。
だからといって、目指すものややりたいことがないことを悩んでるわけでもない。
毎日は楽しいし、安心してぬるま湯に浸かっている。
そんな私でも、時々ふっと思う。
まるで湯治に飽きたかのように。
『なんかやりたい』
ある日突然「やりたいこと」はやってくる。
いろいろ投げ捨て、どっぷり浸かる。
「あぁコレをするために、今までの自分があったのだ!」などと、したり顔で嘯いたりする。
そして、数年もするとなんでそれにハマっていたのかもわからないくらい興味をなくす。
やっぱりぬるま湯はサイコー!という生活にもどり…以下繰り返しの生活をしている。
貴女なら、あれもこれもこんなことだってできるのに。もったいない。
そんなこと言われても、やりたくないことを無理にやるのは苦痛でしかないのだ。
私の24時間は、私のものです。
人の人生つかまえて勿体ないとかいう前に、自分がやればいいんじゃないの?とか思うのである。
あれもこれもこんなことも、全てその人がやりたいことだったりする。
やりたいことがたくさんある人は魅力的だし、努力して時間を作って何かをしている人は素敵だと思う。
でも、時間がないことや環境が許さないことを理由に、やりたいことができないと嘆き、ぬるま湯を満喫してる私を非難するのはちょっと違うんじゃないの?
なんて思ったりする。
時間をどう使うのかはその人の自由だ。
外から見れば浪費に見えても、その人にとっては次のステージのための大切な自堕落かもしれない。
自分の命が尽きるとき、いろいろやったけど苦痛しかない人生だったと思うより、なにもしなかったけど楽しい人生だったなぁと思える方がいいと、私は思う。
だから私は、今日もこんなものを書いて自堕落に過ごす。
それもまた、楽しいではないか。
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