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お仕事と学校の話

社会保険手続きだけやってればいいと言われて就職した。

実際は、社会保険関係一式任せられ、流れで新人教育、勤怠管理、社内人事や採用の会議にも出席し、上場絡みでの銀行さんとの交渉もやり、空いてる時間で普通に総務事務もやり、なんだかいろいろやっていた。

すごく便利に使われてると自覚したときに、直属の上司だった部長に文句を言った。

ちょっと仕事量多すぎませんか?
そしたら部下を二人くれた。

いや、そうじゃなくて。私、腰掛けなんですけど。この業務量のままで退職したら穴埋め大変だと思うので、1人分の仕事ください。

「君には4~5人分くらいの仕事量あるよね。退職したらそれくらい募集するからいいよ。そのままやってね」

はぁ?それなら、お給料あげてください。お給料が倍近くになり、残業がつかなくなった。

いや、違うんだけど。一般職1人分のお仕事にしてほしかっただけなんだけど。

部長は私に名刺を与え、あちらこちらに連れて歩いた。顔繋ぎをしたら、あとはこっちに仕事が振られてくる。
なんだかなぁと思いつつ、人が足りないからしょうがないと流されるままに仕事をした。

ついに出勤時間がもったいないからと、職場近くのホテル住まいになった。もちろんホテル代は会社持ちだ。

たかが女子社員1人によくやるわ。と呆れたものだ。

いよいよ寿退社が決まり、1週間後には退社するというとき、部長がお昼をごちそうしてくれるというのでついていった。

なんで私、こんなに働くことになったんでしょう。と嫌みをいうと「やればできる子だからでしょ?」とごく当たり前のことのように自然に返された。

「君がやめるから私は大変になるよ。なんとかしてほしいわ」と延々と続く愚痴まで聞かされる始末。

えーと。それ、ちょっと違うんちゃうかな。

そんなちょっと変わった部長だったが、採用の時には必ず国立大卒の人を優先した。
同席していた私は、なんで有名私立だとダメなんだろうと疑問に思った。

国立大はセンター入試あるでしょ?それを受けてパスしてるかどうかが大事なんですよ。

まんべんなくお勉強してる方が良いってことですか?

そうじゃなくて、それだけの自制と努力をした経験があるってことです。

なるほど。それで私は努力できると誤解されてコキ使われるんですね。と嫌みを言いながら笑った。

同じ頃、会社には女性課長がいた。
企画をやっている人で、私はよく「あんたは頭も要領もいいけどセンスがない」と言われた。

頭と要領がよかったら、こんなに残業してません。センスもないし最悪です。と言っては大笑いした。

その人とは、よく飲みに行った。

彼女は「頭のいい人はこの会社のおかしいところにすぐに気がついて、早々に辞めていく。でも、最後まで残っていた人がこの会社での勝ち組なんだということに気づいてる人は少ない」「石にかじりついてでも私は辞めない」と言っていた。

彼女ならもっと大手で待遇のいいところでも、おそらくやっていけただろうと思う。でも今の「任せてもらえて自由にできる勝ち組」ということはなくなるだろう。

それを天秤にかけて、自分のやりたいことを選んだのだ。
ちゃんとしてると思った。

その人は、自分の部下を採用するときに国立大出身者を避けた。

どう見てもこっちの人の方がいろんなアイデアありそうですけど、と聞くと「この人は国立大だからダメ」というのだ。

なんで国立大はダメなんですか?

国立大にはセンター入試がある。あれはダメ。余計なことやらされて感性を削る作業だよ。

へぇー。なるほど。それで私はセンスがないんですね。と言ってまた笑った。

各大学にもゼミにも特色はある。国立大、私立大と単純に分けて考えてていいんだろうかとも思ったが、確かにセンター入試があるのとないのとでは大きな違いはあると思う。

今はどうかわからないが、当時の国立大はセンター(あるいは共通一次)○点以上というのが、二次を受けるときの最低条件になっていて、その点数以下なら受けても無駄と言われていた。

なので、希望の学校に入りたければ五教科きっちり仕上げておかないと難しかったのだ。
それなりの時間はとられる(努力)し、要点を掴むこと(要領)も要求される。

対して当時の私大にはセンター入試がなく、三教科やればOKというところが多かったから得意科目に絞れて余裕ができるという利点と、ほぼ受験勉強しなくてもOKの推薦入学もあった。

センター入試の勉強って人生を決めるんだなと妙に感心した。

高校生の時に、将来何になるかを考えて生活してる人は少なかったし、とりあえず大学に入ってしっかり遊んで、それから考えるという人が多かった。

そこにセンター入試を受けるとセンスがなくなるとか考える人は、ほぼいなかったと思う。

それでも当時の大人たちは、いろんな人といろんな立場で付き合って、能力やアイデアを見て若者をそう判断していたのだ。

人の人生って、やってきたことがいろいろ繋がってるんだなぁと思った。

そんな二人でも共通してることがあった。
中高一貫教育の出身者はその基準にあてはまらないから、個性でみる。というのだ。

中高一貫教育って優遇されすぎ。と思ったが、実際にかなり有名な学校を出ている人の話を聞いて納得できた。
余裕があるのだ。なのでセンターを受けても受けなくても「努力」でねじ伏せる感がない。

中高生の頃の話を聞くと、お勉強もやってたし、部活動もやってたし、週末には友達とナンパに行ったし、旅行も夜遊びも。
中高生でとくにやり残した感じがない程度には楽しんだという。普通の中高生なのだ。

地方の普通科で、いろんなことを我慢してお勉強した頃を思うと羨ましい限りである。

子どもができたら、選択肢が広がるように「中高一貫教育からの国立大」を狙おう。

自分の子どもに知的障害があるとは夢にも思ってなかった私は、結婚を間近に控え「お受験」を思って身震いした。

きっと健常の子どもがいてお受験させていたら「ママのためのお受験でしょ!」とか言われて嫌われていたんだ。

親ってツライ。

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