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宗教 ②

小学校3年の頃、家の中はめちゃくちゃになっていた。

宗教をしていることを父や祖母に知られた母は、大っぴらに活動するようになった。
精神が壊れてしまうよりはましかもしれない。
家族全員が諦めていた。

祖母と母の立場は、祖母が歳をとるごとに入れ替わっていくようだった。
「働きもせん者がようけ食べるさかいに食費が大変やわ」
「何もせん人がエアコンだけはしっかりつけてる」
などなど。祖母の晩年には母の方が祖母をいじめているように見えた。
時折、父が助け船を出そうとするが、そんなとき母は決まって宗教会館へ逃げていった。

そして祖母が亡くなった。葬儀が終わって焼場の煙を眺めながら、「スッとしたー」と言って、母は心からの笑顔を見せた。
これが宗教やってる人なのか…と思った。

父が血を吐いて入院したのは、下の妹の結婚を間際に控えた秋だった。
すでに潰瘍は胃壁を突破し、腹膜炎を起こしていた。
医師からは、48時間くらい持ちこたえられれば予後は期待できると言われた。

今晩は付き添いをしてくださいと言われ、私が夜番をすることになった。
夜番を終わり上の妹に引き継ぎをして家に帰ってみると玄関に十数人分の靴。
あぁ。また始まった。

ザワザワと喋り声が聞こえていたのが、急にしんとなり、読経の声へと変わる。
仏間には十数人のおばさん。
隣のホールでは下の妹が大人なのに大きな声で泣いていた。

「どうしたん?」
「姉ちゃん!今すぐにあれをやめさせて!」
「すぐには無理やろな。一区切りついたら帰ってもらうさかいに、あんたは2階で休んどき。」

読経が一区切りついたとき、母を呼んだ。

「お母さん、あの子の気持ちも考えてやって。結婚控えて不安定なこんなときに父親倒れたんやで。」
「お母さんには、なんであの子が泣いてるんかわからん。」

「もともとマリッジブルーのところへお父さん倒れて普通でいられるんか。お母さんはお母さんでお父さんの顔見に行くこともせんと宗教やってるし。」
「病院にはあんたが行ってくれたやん。」
この人は何を言ってるんだろう?

「お父さんのお嫁さんは誰なん?」
「だから私は拝んでるやん」
「それ、ちょっと違うんちゃう?」
「もう、難しいこと言われてもわからんわ。お母さんにどうしてほしいん?」
「あの人たちを家から出して!お父さんのお見舞い行って!」
「それは無理やわ。お父さんのことを心配して拝んでくれてるのに。私が行ってもお父さんの血は止まらんし。」
もう、話が通じないレベルの愚かさだ。

「仏さん拝んで出血が止まるんか!」
母にそう言い捨てて、私は仏間に飛び込んだ。

十数人のおばさんを前に正座をして精一杯のお辞儀をする。

みなさん、今日は父のために拝んでくださってありがとうございます。
でも、家には母以外の人間もおります。
私は夜番をして今から眠ります。妹は結婚前で不安定です。
母には病院へ行ってもらいたいと思っています。
すみませんが、家庭の事情をご配慮いただき、当面この家での読経はやめてください。

このときの言葉は、いまだに一言一句間違えずに覚えている。
それくらい、怒っていた。

背筋を伸ばして、もう一度お辞儀をした。
じっとリーダー格のおばさんを見る。
おばさんは最初は睨んでいたが、目をそらし「罰当たりな」と呟くと立ち上がった。

母は、追いすがるようにその人の名前を呼びながら追いかけ、すみませんすみませんと何度も頭を下げ、「しつけができてないもので」と言った。

私はおばさんたちが帰るとき、玄関で正座をして、これ以上ないというくらいの姿勢のいいお辞儀をして送った。
玄関のドアが閉じた瞬間、母にぐーで殴られた。間髪を入れず投げつけられた花瓶は腕に当たりタタキに落ちて割れた。
母は泣いていた。

泣きたいのはこっちだ。

それから父が肝硬変で亡くなるまで、入院のたびに同じことが繰り返された。
とはいえ、私が帰省しているときにはあまり見かけなかったのは、母もトラブルを避けたかったんだろう。
そんなことで拝まなくてよくなる程度のことなら、私がいなくても拝む必要がないんじゃないかと思う。

私は、誰かの苦境につけこんで乗り込んでくる宗教が嫌いだ。

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