音楽
最近、自分が聴きたいと思っている曲をこちらのマガジンに入れるために記事として投稿している。
ほんとは山ほどいっぺんに上げたいのだが、数少ないフォロワーの方のトップページを占領してしまうのは申し訳なく、一日一曲に抑えている。お目汚しすみません。
私にとって、音楽というものの存在は近くて遠い。家にいても外にいても、なにかと音楽が流れてくるのですごく近い感じがする。
でも、それぞれの楽曲に染み付いている忘れられない出来事というのがあって、それを思うとき「こんなに遠くにきてしまった」と思う。
ひとつの曲を聞いて、何かを思い出す。その時の自分の状態がありありと甦るのだが、そこはもう2度といけない世界で、ものすごく遠いのだ。
例えば、今日UPしたジプシー・キングスの「インスピレーション」なのだが、これは鬼平犯科帳という時代劇のエンディングで流れていた曲だ。
時代劇が大好きだった父は、鬼平犯科帳がことのほか好きでよく見ていた。私には時代劇=勧善懲悪というイメージがあったし、何を見てもあまりかわらないと思っていた。
ある時、たまたま何かを話していてエンディングを聞いてしまってから、このエンディングが聴きたいために鬼平犯科帳を観るようになった。
インスピレーション→鬼平犯科帳→父
という構図が自分の中でできていて、この曲を聴くたびに父を思い出すのだが、父はもういない。その頃の私もいなくて、一緒に曲を聴いた時間はすごく遠い。
別に、それが悲しいとか辛いとかいうわけではなく、あのころ思いもしなかった「遠いところ」にきてしまったなぁと思うだけだ。
目の前の人は、いつかいなくなる。家族だろうが、恋人だろうが、親友だろうがいつか必ずいなくなる。
最初からいなくなることを前提に付き合うなどしたことがないし、いつもいつも目の前の人と自分を取り巻く事柄に夢中になって生きてきた。そのバックグラウンドに、たまたまその音楽が存在していた。ということなんだろう。
私は今、目の前の人がいつかいなくなることを知っている。だから、あの頃のように全身全霊で、その人と共に何かに取り組んでいくということができていないように思う。(子どもは別)
ということは、この先思い出す音楽というのは減っていくんじゃないだろうか。それはけっこう寂しいことなのだれど、音楽のために生きている訳じゃないのでしょうがない。
せめて、覚えている、聴きたい(戻りたい)音楽を残していこうと思った。
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