ダラスってどこ?
インターネットが普及してかなり年月が経ち、それを自由に駆使する人とそれが全く使えない、いわゆる情報弱者との差は広がるばかりです。今はこの世を去っていますが、わたしの両親もインターネットというものには縁遠く、何か注文するのは「電話」か「はがき」の2択と信じていました。時折実家を訪れて母親が欲しがるものをamazonで購入し、それが翌日に届くと
「どうやって注文したの?早いねえ」
と驚かれたものです。
さてインターネットを駆使することができても、その情報が右から左へ流れていく人が存在することをご存じでしょうか。
夏休みの宿題がまったく手付かずのまま8月の終わりを迎え、その時だけお手伝いに励む(理由はわかりきっている)息子は、前にも書いた通り「読書」とは全く縁遠かったのです。とはいえ「皆無」というわけでもないらしく、自分の気に入った本は擦り切れるほど(言い過ぎか)読み直すらしい。
その息子が最近電話をかけてきました。
「ねえ、ねえ、ダラスってどこ?」
開口一番がこの言葉です。そこには「なぜそれを聞きたいのか」「その質問の答えを聞いてどうしたいのか」は一切ありません。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「ぼくのお客さんが、ダラスに投資目的で土地を買ったんだけど、どこかわからない」
「ほう、ダラスと言えばケネディ大統領が暗殺された都市じゃないの。社会で習ったでしょう?」
「習ってない」(習ってないのではなく頭に入っていないだけだと思う)
「アメリカの南部のテキサス州にあるのよ」
「ふーん」(多分テキサス州の位置がわからない)
「で、なんでその質問してきたの?」
「お客さんがそう言ったから、カリフォルニアがいいじゃないですかって言ったら、あそこ高すぎてとても手が出ない、って言ったじゃんね。」(話を合わせるスキルはなかなかだ)
「確かに今カリフォルニア州の都市部の不動産はすごい高いらしいね」(こちらもにわか知識で答える)
「でさー、サンフランシスコの中にカリフォルニアがあるだよね?」
「は?」
「だからサンフランシスコの中にカリフォルニア市があるだよね?」
あー、もうだめだ。一から説明するのか、いやそれ以前の問題です。
「いい?カリフォルニアは州で、その中にサンフランシスコ市やロスアンゼルス市があるだよ」
「それも習ってないよ」
「ねえねえ、キミは毎日、日経新聞デジタル読んでyahooニュース見てるでしょう?」
「もちろん。仕事柄新聞は読まないとね」(彼の「読む」は「字を見る」と限りなく等しいことをわたしは昔から知っている)
「まあいいわ。それで話は続いたのね」
「うん。ダラスがどこにあるのか分からなかっただけだから、それが分かったからいいよ」(ググったのか問いただしたいがこらえる)
とまあこういう状況で、息子はお客さんと話しを合わせるという天性の才能を持ち合わせているらしいので幸い会話が続くのだ。そして学校時代にしばしば駆使した「ずる休み」行為もいまはすっかり姿を消しています。
「ぼくね、会社では「仕事ができる人」と思われてるだよ」
「それは良かったね」
話はそれで終わりました。いくら考えても不思議なのは情報を得るために検索するという発想が起きないことです。
わたしはそこでひらめきました。
「情報を得ることとそれを活用することは全く別物」
この素晴らしいひらめきを早速サンフランシスコに住むわたしの姉に電話で伝えました。もちろんそこに至るまでの息子とのやり取りも含めてです。案の定、スマホが割れんばかりの大爆笑の声が聞こえてきます。
わたしより日本のドラマやイケメン俳優に詳しい姉は、そこからネットサーフィンで仕入れた情報を長々と話し始めるのです。彼女は情報を得ることと活用することは繋がっているようですが、最近俳優名が出てこないことをしきりに悩んでいます。
「あのドラマで主役の弟の恋人をいじめる役をした女優が出ていた映画の主役の妹役って最近結婚したよね」(何一つ固有名詞なし)
この症候群について何と名付けようか今考えています。
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