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【読書感想文】渋谷の農家

おはようございます。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

今日は、小倉崇さんの「渋谷の農家」という本をご紹介したいと思います。


はじめに

この本との出会いは、家の近くの図書館へ行った時、大好きな時代小説を2冊借りようと手に持ちながら、他に何か面白そうな本が無いかなぁ~と本棚を眺めていた時に偶然出会いました。

少し変わった表紙と、農家と渋谷という真逆のイメージ、手に取ってパラパラと最初の数ページを読んでみたところ、手が止まらない(笑)
面白過ぎる!!

思わず先に持っていた時代小説を元の棚に戻し、この本1冊だけを借りて帰ることにしました。

著者 小倉崇さんについて

著者の小倉崇さんは、元々出版社で働いていて、農業とは無縁の人だった。
小倉さんは受けた仕事に対して全力で取り組む方で、共感を覚えた。
ある日、もう自分からは何も出ないと思うほどに取り組んだ仕事に対し、「オーバースペックだよね。」と笑いながら言われる。
『なんだよ、オーバースペックって!?依頼を受けた仕事を、このギャラならこれぐらいでって中途半端なものを作れるかよ!?』と憤る。
すごく分かる。それと同時に真面目で熱い方だと気に入った。

わたしは派遣で仕事をしている。
頑張っても頑張らなくても時給は変わらない。
しかし派遣社員という一見単調な仕事をいかに面白くするかは、自分次第で、依頼された仕事をどこまで理解して、相手の期待以上の成果を出し、驚かせることが楽しみの1つでもある。
もちろんそれで自分の首を絞めることにもなるが、後々考えると、ただ依頼されたままの仕事をするよりも自分自身が成長しているし、派遣先や派遣会社との信頼関係も築けていることが無駄ではなかったと思わせてくれる。

農業との出会い

小倉さんは出版社に9年勤め、広告部への異動が決まったところで退職し、フリーランスとなった。

ある航空会社の機内誌の仕事を請け負っていた小倉さんは、日本一美しい農村風景として農林水産大臣賞を受賞した山形県の飯豊町に一年間通い、四季折々の変わりゆく農村の風景や人々の暮らしを追いかける企画を提案した。
せっかくだから、農家さんと一緒に米作りの体験をしようということになった。

裸足で田んぼに足を突っ込むと、生ぬるい泥が両足を包む。
ぬるっとした感触に一瞬だけ、靴を履いていない違和感に不安を感じたものの、数秒後には自分でも不思議なぐらい大きな安らぎの感覚に包まれた。
赤ちゃんが母親に抱かれている時の安心感ってこういう気持ちなのかもしれないと思った。それくらい、それまでの自分が暮らしてきた時間の中で感じたことがないような安堵感があった。あの時が、土の力を初めて実感した瞬間だっかもしれない。

渋谷の農家 P.25~27

この仕事をきっかけに、食や農にまつわる仕事が増えていき、益々農業への興味が沸いてくる。しかし農業だけで生計を立てていく大変さも同時に知ることになり、自分が農業をやりたいという気持ちは全く芽生えなかった。

そんなある日、山形県高畠町の米農家 遠藤五一さんと出逢う。
遠藤さんは完全無農薬の有機農法でお米を作り、当時5年連続で「米食味分析鑑定コンクール」で金賞を受賞していた。

その遠藤さんのお米を食べた時のことをこう書いています。

白米が何よりの好物で、有名なブランド米などを取り寄せて食べていたので、そこそこ美味しいお米は知っているつもりだったが、遠藤さんのお米はフルーツみたいにプルプルで、食べていると、頭で美味しいとか感じるよりも早く、体の内側からエネルギーをチャージされていくような絶対的な生命力に溢れた米だった。一口噛むごとに、自分自身が生きていることを実感させてくれる食べ物。そんな食べ物に出会ったのは、初めてだった。

渋谷の農家 P.31

何より驚いたのは、この米が、人間が人工的に作り出したものではなく、自然そのものから作り出されているということ、つまり農業の本質そのものだったことだ。この時、初めて無農薬や、有機農業への意識が開いた。もちろん、それまでも、有機栽培で育てられた野菜や米を食べたことはあった。
だが、それは今から思えば、海外のブランド品をありがたたがるように、「オーガニックな食材を食べることがカッコイイ」というファッション的な感覚で捉えていた。
だが、今、自分が食べている目の前の米は、農薬や化学肥料といった便利な道具に頼ることなく、遠藤さんが、たった一人で、自分の直感と技術と情熱だけを武器に、自然と格闘しながら生み出した米だ。

渋谷の農家 P.31~32

大阪にいた頃は、小さいながらも市民農園で夫婦で野菜を作っていた。
週末のほんの数時間作業するだけの”なんちゃって農業”ではあったが、試行錯誤しながら数年続けていると土の状態も良くなり、放っておいても美味しい野菜がたくさんできるようになった。
人間が美味しいと思うものは、虫や動物たちも美味しいと思うのも当然。
そろそろ収穫っていうところで、美味しいとこ取りをされることも多かった。しかし逆に考えると、自然界の虫や動物が食べたいと思うような良い野菜を育てられるようになったという考え方も出来る。

葉物野菜は特に青虫に食べられた。
早くからネットで対策をしているというのに、いつの間にか入り込んだ青虫に白菜の美味しい所をたくさん食べられた。
どうにか残った白菜をきれいに洗って食べたら、今まで食べていた白菜はなんだったんだ!と思うぐらい甘くてトロトロで美味しかった。

有機農業について

現在の農業は農薬や化学肥料を使わない「有機農業」と、農薬や化学肥料を用いた「近代農業」の大きく2つに分かれる。

日本のみならず世界中で広く行われている「近代農業」のメリットは、作物を雑草や害虫から守ることで、農家の負担を減らし、大きな田んぼや畑でたくさんの農作物を育てることが出来る。

デメリットは、農家さん自身の農薬散布による健康被害や、その作物を食べるわたし達消費者の健康被害、また、畑や田んぼ事態への環境への負荷がある。

自然は、地球が誕生してから、ずっと自然の力とリズムだけで地球を育み、生き物を生み出してきた。
不謹慎な言い方になるが、仮に自然や地球が、「調子が悪くなったな」と感知すれば、それは地震や台風や火山の噴火など、人間が言うところの天災的で爆発的なエネルギーを放出する荒治療で自分の健康を取り戻してきたのだ。それに、雑草とか害虫なんてものは、そもそも自然界には存在しない。
むしろ、すべてが食物連鎖の輪の中で循環しているのに、そこに無理やり入り込んで、「この草が邪魔だ」とか、「この虫のせいで野菜が育たない」とか言っている人間の方が、自然界の中ではよっぽど邪魔でエゴイスティックな存在だろう。

渋谷の農家 P.34~35

「有機農業」の方が良いことは頭で分かっていはいるものの、今の現代のシステム、例えば「安く買いたい」であったり、「食べ残し」など、食べ物を大事にしない「お金で買えばいい」と思うような環境では、どうしても「有機農業」だけでは賄えないと思う。

また、農家の高齢化や後継者不足、耕作放棄地問題、農地をどんどん手放す人も増え、畑や田んぼだった景色がどんどん住宅地に変わっている。

自分自身で野菜を作ってみたり、いろんなことを勉強していく中で、日本の農業に関することに興味が沸いたし、難しさも感じている。

しかし、わたしの考えがいきなり0から100になった訳ではないように、人々の農や食に関する考え方も、千差万別であることも理解し、共感を得られる人たちで力を合わせ、少しづつこの感覚が共有できる人が増えてくれると嬉しいぐらいに思っている。

小倉さんは、「渋谷で農家」になる前に、日本国内でいろんな有機農業をされている方を訪ねています。

・有機オリーブ栽培農家/山田典章さん(香川県・小豆島)
・お茶農家/北村親二さん(長崎県・佐々町)
・麻農家/上野俊彦さん(鳥取県・智頭町)
・蒜山耕藝(米農家)/桑原広樹さん、高谷裕治さん、高谷絵里香さん
(岡山県・蒜山(旧中和村))
・ニンニク、果樹農家/福留ケイ子さん(鹿児島県・伊仙町)
・リモーネ(柑橘農家)/山﨑学さん、山﨑知子さん(愛媛県・大三島)

その出会った方々もとても素晴らしい(感性)人で、わたしも小倉さんのようにいろんな人と出会い、その方々の感性や人柄に触れてみたいと思った。
そしてそれがこれから先、新しい道を切り開く鍵となる気がした。

最後に

小倉さんが米農家の遠藤さんの言葉とネイティブ・アメリカンの考え方をリンクして素敵な表現をされていたのでここでご紹介したい。

田んぼで聞いた遠藤さんの言葉は、まるでネイティブ・アメリカンの長老の言葉のようで、ストンと、まるで田んぼに放り投げられた苗のように、僕の心にまっすぐ届いて、そして、すぐに根付いた。
「米は一年に一回しか作れない。だから、私はせいぜい50回しか米を作れないわけ。でも、私が死んでも作り方さえ伝えて行けば、米作りは永遠に続いていく。人間は有限だけど、米は無限なんだよ。
この田んぼの周りの自然もそう。私はたった数十年しか、目の前の川を見ることはできなけど、この川だってずっと先人が守ってきてくれたから、今、こうして自分の目の前を流れている。そして、未来の、私が出会うこともない人たちの前にも、このきれいな川をそのまま残してあげたいと思っている。
それと同じで、私も弥生時代からずっと連なってきている米作りの大きな大きな長い歴史の輪の中に、たまたま参加させてもらってるだけなんですよ。

渋谷の農家 P.36~37

なぜ、この言葉が、ネイティブ・アメリカンの言葉のように感じたかと言うと、ネイティブ・アメリカンにはメディスン・ホイールという、曼荼羅のような考え方がある。それは、この世の生きとし生けるすべてのものー植物や動物や鉱物ーには魂と生命が宿り、ひとつの輪で繋がっているという考え方だ。
面白いのは、メディスン・ホイールには人間が加わっていないと考えられていること。つまり、人間は、万物の生命の輪の外にいる。そして、もし、この輪の中に入ろうとするならば、自ら進んで命の輪に加わるための知恵を掴み取らなければならないとされている。遠藤さんの言葉に感銘を受けたのは、有機農業とは、まさにメディスン・ホイールの輪に加わるための知恵のひとつなのだとインスピレーションを受けたからだった。

渋谷の農家 P.37

昔、考えたわたしなりの1つの仮説がある。
それは、「人間は猿から進化した=猿よりも人間は賢い」ではなく、「猿は”人間の様にはならない”ために、あえて進化を止めたのではないか」ということ。

人間は、「雑草」や「害虫」という言葉を勝手に生み出し、自然界に元々ある草や虫を”無駄なもの””害をなすもの”と分類し排除している。

しかし、もしかすると地球レベルで見た時に、人間こそが「害獣」に分類されるのではないかと思った。自然を壊し、自然のサイクルを乱す存在。

わたし達は「人間は特別」という考え方を捨て、地球に暮らすすべての生き物たちと共存し、その中で人間の才能である”知恵”を使って暮らして行きたいと思った。

ここではさわりぐらいしかご紹介できませんでしたが、わたしが言葉で表現したかった感覚はこういうことだったんだと思えるような話が沢山あって、是非、多くの方にこの本を読んでいただきたいと思う、そんな素敵な本でした。

小倉崇さんの活動「URBAN FARMERS CLUB」







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