成人式に貰った手紙を見て思った気持ちを文字にして整理する

昨日は息子が成人式を迎え朝からバタバタした

小さな頃からとても手のかかる子で 私はきっと周りからみたら「この人大丈夫なのかしら」と心配される親だったと思う。

感情的に子供に当たる事もあったしきっと良い親じゃなかったと思う。

それでも子供っていうのは無性に親に愛情を与え与えられる物だと思っていると(思う。)

成人式では『十歳の時の俺より』という手紙が配布された。

息子達が小学生の時に書いた字だ。
見慣れた懐かしい書体に微笑ましさを感じた。

お母さんが大好きです。

親になって良かった育ててよかった

普通ならそう思うんだろう。
私は親というものを知らないから不思議な気持ちになる

無償の愛情を与えられると怖くなる

どうせいつか裏切られる

全てを壊したくなる
最初から期待するから傷付くんだ。だったらこっちから傷つけてやろうと思う気持ちが根本にあるから。

私が十歳の時『2分の1成人式』というものがあった

ちなみに私は子供の頃の記憶があまり無いが覚えているのは ねつ造した幸せな成長記録と(そこには)存在しない母親への感謝の手紙を読んだ

「皆さんの名前の由来をお父さんお母さんにインタビューして来てみんなの前で発表しましょう」
先生が言った。
ギリギリまで放置して前の日の夜に一緒に暮らしていなかった父親に電話して聞いたら『何となくだ』と言われた
「えー笑 何それ何となくって何笑」って笑って電話を切った。

ちょっと面白いじゃんも思いつつもみんなの前で発表した

保護者がザワザワした。「うるせえよ」って思いながら最後まで読み切った「産んでくれてありがとう」

産んでくれてありがとう

そんな事思った事なんてない。
要らなかったら産まなきゃいいのに。
ずっと思ってた

酔っ払った父親に嘘でも「お前は産むつもりじゃなかった」なんて言って欲しくなかった。
酒を呑んで暴れて止めに入った私をビール瓶で殴り掛かり左手から流血した事も
未遂だがレイプしようとした事も余り覚えて居ないが何となく記憶の断片にある。

子供を産んで初めて自分の血の繋がった家族ができた気がした。

この子の為になら私は命をかけようと思った
絶対に寂しい思いはさせたくない

でも どう子供と接したらいいのか分からなかった
子供が手を差し伸べたらどう声をかけてどう手を差し伸べれば良いのか分からなかった

(今でも小さな子供は何をして欲しいのか分からなくて苦手だ)

今でも20歳になった息子がワガママに当たり前のように私に何かを要求されるとイライラするし 親ならきっと当然何だろうと思うし
(この人は)何故成人してるのに親に縋るんだろうと不思議な気持ちになる
そしてやって貰って当たり前と思っている我が子に冷たくされる(反抗)と心の底から【安心】してしまう自分がいる。

10歳の息子から貰った手紙を見て色んな事を思い出した。
(お母さんは計算出来ないけど優しいし大好きです)

そう、【計算出来ないけど】
何処か私を落してくれるとあたしは安心するんだ。

私はこれからもずっと親というものが分からないまま 毎日を過して子供の顔を見ては自分が何なのか確認をして合わない溝を無理やりはめていくんだと思う。

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