Q.「抹茶ってもともと薬だったって本当ですか?」

ジェモセラピストで茶道教授の水上麻由子が、皆さんのご質問にお答えする「教えて!まゆこ先生シリーズ」

答えは、「本当です」。

みなさんは「茶道」についてどんなイメージをお持ちですか。

茶道は日本を代表する文化として、日本国内はもちろんのこと世界にも広く知られています。和服を着た茶人が恭しく茶を点てる様子を思い浮かべる人や、着物を着かざった女性の上品な嗜みという印象があるかもしれません。
しかし、茶道の起源については意外と知られていません。私も入門した当初、茶道について何も知らず、「花嫁修業(今は死語?)にでもなれば」と軽い気持ちでした。

茶道の祖として有名なのは、安土桃山時代に活躍し、茶聖とも称された千利休ですよね。それ以来、茶道はAIが活躍する現代にまで続いています。なぜそのように長い間、途切れることなく脈々と受け継がれてきたのでしょうか。
理由はさまざまありますが、その一つとして、茶そのものが持つ効能を挙げることができるでしょう。この茶の効能を本格的に日本に紹介した人物は、千利休の時代よりもおよそ350年前、鎌倉時代初期に活躍した禅僧、栄西です。栄西は『喫茶養生記』という書物を記し、茶の効能を説いたわけですが、日本の茶の起源は、もう少し前にさかのぼります。

茶は奈良時代、仏教とともに中国から伝来し、当時、朝廷や寺院で茶の行事が行われていたことが記録に残されています。その後、空海が唐から持ち帰ったといわれる茶の種は、奈良県宇陀の佛隆寺のあたりの地に蒔かれ、これを栽培して作った茶が「大和茶」といわれます。
その頃当時の茶は、主として薬用や仏事用として用いられていて、茶葉を圧搾して固めたものを削る方式(粉にして飲む抹茶式で、現在の抹茶の製法とは異なる)でのまれていたようです。

そして1191年、栄西がチャの種を宋(中国)から持ち帰って栽培し、禅宗の布教とともにお茶の効能を説きました。これをきっかけに、茶が本格的に日本に広まっていきます。宋での修行中、茶の覚醒作用や養生作用を実感したこと、禅宗の行事に茶が欠かせないことなどがあったのです。

(注)千利休は、戦国時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人。侘び茶の完成者、茶聖として知られる。豊臣秀吉の側近として多くの大名にも影響力を持ったが、最後は、秀吉によって切腹へと追い込まれた。千利休の子孫がそれぞれ、表千家、裏千家、武者小路千家へと別れ、茶道の三千家として現代に続いている。

(注)栄西禅師は14才のとき、比叡山延暦寺で得度、天台宗密教を修学する。27才と46才のとき宋に渡り、禅宗を学ぶ。その際、茶を喫したことがきっかけで、効用と作法を研究。茶種を持ち帰り栽培し、『喫茶養生記』を著すなどして普及と奨励に勤めた。日本の茶祖といわれる。


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