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色彩の闇28

「美沙さん…ずいぶんと雰囲気が変わったな…。」

演奏中に渡す予定のチップと、リクエストカードを黒服に渡しながらVIP席の内藤はステージ上の美沙を見て言った。
紙幣10枚をセロハンテープで繋げて作るレイは、店側があらかじめ作り置きしてあり、金額によってそれを買うシステムになっていた。
もちろん最高額は1万円10枚で作ったレイだが、千円札10枚で作るレイの方が一般的だった。
内藤はいつも10万円を出そうとするが、担当のリエがそれを阻止していた。

「あら、そうかしら…。毎日見てるから気がつかなかったわ。」
「あぁ、悪い意味じゃないぞ。いい意味でだ。」
「…恋でもしているのかしらね。」
「そうだといいな。しかし今日が最後なんだから10万円のレイにするよ。」
「あら、そんなことしたら逆に美沙ちゃんの負担になってしまうわ。だったら花束にしましょう!一階の花屋に見繕わせますね。」

リエはそう言って黒服を喚んで花束を一万円で大至急作るよう手配した。

「花はなんでもいいわ。とにかく大きくね、豪華に見せて。」

察した黒服はインカムですぐに対応した。
リエは微笑みの中にどす黒い眼光を忍ばせて、その黒服の胸元に2万円を挿し込んだ。
そして残りを自分の小さなポーチバッグの中にしまい込んだ。
美沙はステージ上からVIP席の内藤を見つけると、軽く会釈した。
内藤もそれを受けて会釈した。
隣に座るリエは、どうにも読み取りにくい表情でこちらを見ていた。

オカマの志乃ママがリエさんの恋人だったガクと忽然と消えたことは、誰にも話していない。
その事実はどうやら美沙しか知らないらしい。
なので表向きは志乃ママの店が急に閉店して、ママと連絡が取れなくなったことと、このバンドのドラムだったガクがその1日前から急に来なくなったということしか明らかになっていない。
ママの店が断りもなく急に閉店したことはリエさんから聞いた。
店の前に《長い間お世話になりました。閉店します。店主》という張り紙だけがあったらしい。
美沙は初めて聞いた素ぶりをして驚いて見せた。
が、それはリエさんに見破られていたのかもしれない。
何故ならそれ以降、一度もアフターに誘われていないからだ。
しかもリエさんからガクと別れたこと、ガクが出て行ったこと、ガクが仕事を飛んだことも聞いていない。
しかしリエさん自身は全くいつもと変わらなかった。
優しい微笑み、機転のきいた接客、手足のように上手にヘルプホステスと黒服を使い、今月もナンバー3の座に君臨していた。
本当は、美沙はリエさんの気持ちを聞きたかった。
しかしリエさんがそれを許さない空気を醸し出していた。

あんなに毎日不安になるほど気にしていた恋人なのに…。
お金で縛り付けたのだって、本当は不安の裏返しかもしれないのに…。
リエさんは、リエさんなりに愛しかたを探してたのかもしれない…。

真実は闇の中だった。
兎にも角にもリエさんとの付き合いも、クラブ歌手としての仕事も今夜で終わる。
美沙はあの日、早めにグランドハイツを訪れ、支配人にアポイントを取った。
そして引退の意思を伝えた。
支配人はそこそこ人気の美沙を一応、引き止めはしたが本意ではなかった。
このグランドハイツ自体を若いホステス中心のキャバレーに変容させたかったので、美沙の引退は幸いの話だった。
話はとんとん拍子に進み、店内と自社ビル内だけだが、ラストステージのポスターがたくさん貼られ、常連のお客様たちの集客を煽っていた。

これからどうするかなど考えていなかった。
とにかくやりたいことを選択した結果だった。
後悔はしない。
もう二度と、自分の心に鎧など身につけない。
そう決めてからの美沙は、晴れやかだった。

最後のステージには、あちこちの席に花束がスタンバイされていて、美沙の有終の美に協力してくれるホステスたちが微笑ましくステージを見守ってくれていた。
そしていつものように黒服からリスクエストカードを受け取った。
ドラムが4カウントをキーボードへ伝え、イントロがストリングスで始まる。
これが、最後のステージ。

「皆さま本日はグランドハイツへようこそお越しくださいました。これより少しの時間、お付き合い願います。只今のショーは美沙でございます。最初の曲はリクエストです。どうもありがとうございました。曲は、しばたはつみの《合鍵》。」

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