見出し画像

色彩の闇26

「どうしてもわからないんです。愛するって、愛されるって、どういうことなんですか?
私はなぜ…、どうして直也さんに愛されなかったんですか?
私は…父に、母に、愛されて育ったんでしょうか…?」

唐突な質問にもかかわらず、直也は静かに答えた。
まるで美沙からその言葉を聞けて嬉しいかのようだった。

「愛とは、感謝だよ。」

一瞬、勢いを殺し考えたが、さっぱり解らなかった。
感謝とは、なにかしてもらった時にはじめて感じる感情で、それと愛が結びつくとは到底思えなかった。
だとすれば、美沙は感謝している=愛している人がたくさんいることになるが、誰にも愛なんて感じていない。
その誰ともSEXしたいなんて思っていない。

「君にもいつか解るよ…そう遠くない未来に。だって、ここまで来たんだから。」
「わかりませんわかりませんわかりません…!直也さんが教えてください。私に解るように、教えてください…!」
「それは俺の役割じゃないよ、俺は君を扉の前まで連れて来くるまでが仕事だったんだよ。ここから先は君がひとりで歩いて行くんだ。」
「…い…や!直也さんじゃなきゃ…いや…!」
「俺がいま君に感じている愛も感謝なんだよ?
ありがとう…こんな嬉しいことはないよ。愛してくれてありがとう…。」
「そんな…!感謝されたくて愛したんじゃありません…!」

直也はこれ以上ないというくらい優しい声で美沙を宥めた。
これまでの非道で、傲慢な行為がすべて洗い流せるような、いや、ここに至るまでのプロセスとしてそれは大切な行為であったかのような気さえしてきた。

直也さんは、優しい…。

「ひとりで、ひとりで歩くなんて怖い…です…!」
「うん、怖いね。でも大丈夫。怖いと気付いたんだから、もう怖くないよ。」
「…意味がわかりません…。」
「まだ気付いていない人たちはね、気付くのが怖いんだ。だから、自分が傷つかないように、他人を傷つけないように生きている。そうしたら避けて生きられると思ってるんだ。」
「…私、それです。」
「うん、でも今の君は違うね。傷つくことを恐れていない。傷つけることも恐れていない。」
「…そうでしょうか。」
「うん。愛は、対峙でもあるんだ。」
「あ…、私、直也さんとずっと向き合いたかったです…。」
「うん、知ってるよ。でもそのときの君には感謝がなかった。」
「感謝…。感謝って…。」
「俺が君に与えたことを、君はいま感謝を感じたから電話してきたんじゃないのかい?」
「あ…っ!」
「いいかい、よく聞いて。ここからは《なりたい自分》を目指すのではなく、《自分のやりたいことをする》という選択をするんだ。
その途中に君を傷つける人にたくさん出会うだろう、でも傷つくことを恐れてはいけない。
痛みを葬ってはいけないんだ、痛みを感じたことを歓んで自分を満たすんだ。
人は決して傷ついたって壊れない。壊しているのは他人じゃない、いつも自分なんだ。
ひとつ傷がつくたびに、弱くなっていくんじゃないんだ。強くなっているんだ。
君の人生に勲章が増えるだけなんだ。」

勲章…。
私は真っ当ではないから、真っ当な人間のフリをしなくてはならない。
誰も信じてはならない。誰にも本当のことを言ってはならない。
私は、誰も私を傷つけない高みまで登らせることしか考えていなかった…。
それが、私の《なりたい自分》だった…。
私はこれまで誰の人生を生きて来たんだろう…。
一生懸命にこれまでの時間をかけて築いた諸刃の城壁が、ボロボロと崩れていく音を感じた。

「直也さん…直也さんが触ってくれたところ、ぜんぶいまも痛いです…ちょっとだけど。」
「そうか…、その痛みも歓びに感じられる?」
「はい…嬉しかったです。」
「うん、俺も受け容れてくれて嬉しかった。」
「…直也さん。」
「…うん?」
「…直也さん。」
「…うん。」
「……愛してます。」
「…うん、俺も愛してる。」

電話は、どちらともなく切れた。
それからしばらくの静寂が流れた。
真っ暗な中で、なんの音もしない時間が流れた。

美沙は満ち足りていた。
幸せだった。

そうして、いつの間にか眠ってしまっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?