絶対評価はあなたの舌で
先頃出ていた、ミシュランについての記事、
ご覧になった方はいますか?
自殺者も出るミシュラン格付け 元三つ星シェフの提訴に司法判断は……
たいへん興味深く読みましたし、何人かのシェフがこれについてTwitterでコメントしているのも見ました。
記事は、ミシュランの星の数を下げられたシェフが、
根拠のないミシュランの審査基準には甚だ納得いかず
ということで、星が落ちたことによる客足の遠のきや精神的な慰謝料として1ユーロを求め提訴したという話でした。
1ユーロといえば、120円たらずです。
要するに、このシェフは損害賠償の額面うんぬんではなく、
頼んでもいないのに、毎年星の数に振り回される身にもなってくれ!
と世間に伝えたかったのではないでしょうか。
ツイートしていた方々のコメントを見ると、
「一スタッフとして働いていた時代でも、自分の責任で星を落としたらと思うと厨房内に漂うプレッシャーは壮絶なものだった」
「今の時代、ミシュランに振り回されなくてもうちはうち」
など、様々な意見がありました。
日々、しのぎを削り、厨房で血眼になっているプロフェッショナルたちの気持ちを、私が代弁することはできません。
しかし、私は私で同じ立場の人たち、つまり
食べ手の姿勢
に対しては、意見があります。
というのも、仕事相手や取材先と関わる上で、
自分の意見を持たずに星にこだわる人が結構いるのはいかがなものか
と感じることがけっこう多いからです。
有名シェフとコラボして商品を売り出したいなら、一度でもその店を訪れてシェフの世界観を自分の目と舌で確かめた方がいいし、
大事な接待でクライアントをレストランに招待するなら、自分でも良さをわかっている店を選ぶ方が良い。
……と思うのですが、
なるべく星の数の多いシェフと組みたい。
とおっしゃる方が多数派だと感じます。
それよりも、自分がその店を好きかどうかの方が、よほど大切だと思うんだけどな。
仕事柄、よく、
一番いい(と思う)レストラン教えて
と聞かれることも多いのですが、
ご無体な〜、とお返事するしかありません。
その方のセンスや食の好み、これまでの食ヒストリーなど、いろいろ存じ上げていれば、
ある程度想像力を働かせて考えることもできますが、
何の情報もないままにそれを考えるのは、
キム・カーダシアンと芦田愛菜、どちらが美しいか
を真剣に論じ合うような、
そんなナンセンスさを覚えるからです。
ミシュランの審査員は、全員ミシュラン社の正社員だそうです。
業務の一環として担当を任されたレストランに出向き、審査をするので、
当然そこには、自腹を切る客のようなときめきや期待感はないはず。
そんな彼らはおそらく、「ミシュラン社員としての誇りと責任感」をもって、レストランを採点していると推察します。
対して、ミシュランと双璧をなす存在となった
「The World’s 50 Best Restaurants」や
みなさんもよくご存知の「食べログ」などは、
頼まれてもいないのに自費で国内外を食べ歩き、評価採点までしたいという積極的フーディーたちによるコンペティション。
その結果が、ミシュランのそれと異なっていても不思議はありません。
それだけではありません。
世界には他にも、ゴエミヨ、ボキューズ・ドール、OAD、Young Chef、RED35など、ざっと思い出しただけでも今や山ほどレストラン評価機関があります。
それらで高評価を得るレストランのラインナップは、機関によってさまざま。
前出のキム vs 愛菜ちゃんの図式を当てはめるなら、
魅力の採点基準は、人それぞれ
というのと同義です。
要するに、理想的な美男美女と付き合ったからといって、
その人とうまくいくかどうかなんて、経験してみないとわからない。
という、誰もが「わかる〜」とうなずく話となんら変わらないのに、
なぜか星の話になると、
自分の味覚よりも、会ったこともない審査員の舌を信じる人が多いというのは
本当に不思議なことだと思うんです。
シェフ側にも、万人よりもわかってくれる人にモテる方が幸せですよね? と
あえて問いたい、とも思います。
世界を見渡しても
本国フランスをはるかに超え、最も星付きレストランが多い日本。
本当ですよ!
そんな誘惑の多い国に住んでいるなら、
その恩恵に対して不足ない舌を鍛えなければ。
美味しい。好き。
そんなシンプルでプリミティブな感覚くらいは
自分で判断できる方が
絶対に楽しいだろうと思っています。
フードトレンドのエディター・ディレクター。 「美味しいもの」の裏や周りにくっついているストーリーや“事情”を読み解き、お伝えしたいと思っています。