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コロナより怖いもの、それは孤独

毎日毎日、コロナのニュースばっかり。

もういやだ!

そんな風に思い始めていたところ、
ニュースでも(結局見てるじゃないか)、そういう「#コロナ疲れ」が取り沙汰されるようになってきました。
みんな、疲れているんですよね。当然です。

でも不思議です。
外に出て行くことがめっきり減り、リモートワーク、一辺倒。
朝起きて食事したら、髪とメイクだけチャチャっと仕上げ、
気がつけば夜までずっとzoom会議とPC作業だけで過ごしていたりします。
全然動いていないのに、こんなに疲れるのはなぜなのか。
不思議だなぁと思っていたら、私だけじゃなかったわけです。

それどころか、
コロナ離婚とかコロナDVとか、コロナ太りとかコロナ鬱とか、
これは明らかに世界中の人々が、心を失い始めているのでは。
ウイルスが伝染する恐怖ももちろんあるのですが、
どうもそれだけではない恐怖の蔓延があると思います。

なんでだろう、なんでだろう。
昔の流行歌をつぶやいていたら、わかりました。

孤独感が強まっているから

です。
元気に仕事をしているし、友人もいる。
家で家族ともしゃべるし、ごはんも美味しい。
なのに今、
着実に私の中で孤独の芽が成長しているような気がします。
会社を辞めて自宅で仕事するようになっても
孤独を感じたりすることはなかったのに、
全部を自宅で済ませられるようになって便利と思っていたのに、
震災時はあまりやっていなかったSNSがあるから
今回はそれほど孤独じゃないかもねとも、思っていたのに。

降参の意味を込めて言うのですが、
仕事もレストランでの食事も
誰かと一緒に、その場の空気を共有しながら
時に、香りや呼吸、手で触れ合いながらのコミュニケーションが
私をどれだけ癒してくれていたかを、ようやく理解しました。

そしてもうひとつ気づいたのは「無駄な時間の大切さ」。

打ち合わせに向かう前後の電車の中で本を読んだり
カフェでお茶を飲んで時間をつぶしたり
「あぁ、この時間がもったいない!」とか言ってたけれど
あの時間こそ、次に会う人とのコミュニケーションを
より濃く、意味あるものにしてくれる魔法だったんだなぁ。しみじみ。

かといって、
今この時期にリアルコミュニケーションが恋しいなんて言ってられません。
もっと厳しい状況にいる人もたくさんいます。
しかし、今私を蝕(むしば)もうとしているこの小さな孤独感は、
放っておくとこのまま、ものすごく大きな怪物になるんじゃないかという気配がないでもない。そんな気がします。

私はかつて、「自分の機嫌くらい自分で取れる人になりたい」とnoteで書いたことがあります。
その手法は料理だったり外食だったりしたのですが、
この状況下で思うのは、デジタルの助けを借りて孤独を癒してはいるけれど
結局、嗅覚(臭いものも含めて!)、触覚、味覚を抜かした
視覚と聴覚だけのコミュニケーションでは、
「私は誰かとつながって生きている」という実感は得られないようです。

ではどうするか。

本当に困りました。
まだまだ続くこの状況に私のハートは耐えられるのだろうか。
収束したとしても、その後には違う私がいるのではないか。
結局、答えなんて見つかりそうにありません。

ひとつ言えるのは、1週間おきに我々はみんな、
初めての状況に1個ずつ解を見つけつつあるということ。
私の場合、
先週は「異なる道を見つけるという手もある」という考えに行き着き
今週は「デジタルでコミュニケーションは満たせない」と観念し、
それなら来週にはまた、新たな解が手に入っているかもしれません。

新型コロナウイルスは恐ろしい存在ですが、
私たちは今、これ以外のいろんな怖いものにも総当たりしています。
稼ぎと仕事、時間の観念、友人との付き合い、恋愛、やりがい。
それらを測る基準が一気に別物に変わろうとしている今、
孤独を感じてしまうのは仕方のないことなのかも。
デジタルのおかげで仕事が続けられ
人付き合いも楽しんでいられることに感謝しながら、
自分の中にきちんと残っている原始的な能力とか欲望とか
そういうものにもっと注目していきたいと思います。

孤独感が増してどうしようもなくなったら……。
いっそこれは、いつか死ぬ日のための心の予行演習だと考えます。

死ぬ時は誰でも孤独

こんな言葉を何度か口にしたことはありますが、
本当にその意味を理解できるのは、今なのかも。
コロナよりもっと怖いのは、真の孤独です。
でも、そんな孤独を恐れる自分を俯瞰できたら、
まだまだ世界とはつながっていられると思っています。

#新型コロナウイルス #料理 #COMEMO


フードトレンドのエディター・ディレクター。 「美味しいもの」の裏や周りにくっついているストーリーや“事情”を読み解き、お伝えしたいと思っています。