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ちょうどよく「自分」を書くって?

このあいだエゴサ―チをしていたら、「自虐が鼻につく」的なコメントが1件あった。「清さんのnote、自虐がいいよね」と言われたこともある。

そうか…私の書いてることって自虐なのか……とちょっと落ち込んだ。
「小説家になりたい人(自笑)日記」というタイトルをつけたけれど、
「自笑」であって「自嘲」ではないつもりだった。

落ち込んだのはなぜかというと、じつは私も他人の自虐が苦手なのだ。

たとえば、「私もうBBAだから」みたいなのが苦手だ。
私と同じアラフォー、場合によっては私よりもずっと若い人がそれを使ったりする。思ってないくせに~!!となる。「え~そんなことないよ」って言わなあかんやつ、これ?ってなる。

自虐は周りの人に気を使わせる、ネガティブ王様の遊び。

私はこのブログを書くにあたって、ひとつだけ決めたことがあった。
それは、「みっともないことをなるべく隠さずに書こう」ということ。
あれだけ、いろんな人に心を開いて喋ってもらっているのだから、
私だけ取り繕うわけにはいかないと思った。

だから、できれば隠しておきたい嫉妬、浅はかな考え、こんなになっても自分の可能性を信じまくっているところ、「俺はまだ本気出してないだけ」って言い訳している姿、をお届けしてきたつもりだった。

ところが、それがいつのまにか人から見て「自虐」に映っていたというのだ。うーん、そこを書き分けるポイントとはなんぞや。

さくらももこ、北大路公子、ジェーン・スーなど名エッセイストの文章を振り返る。彼女たちは自分を笑っているけれど、決して自虐的ではない。自己批判的ではあっても、自罰はしていない。でも自慢もしていない。
ああ、こういうスタンスでいきたいのだがな……。

そうこうしているうちにちょっと、noteがバズった。
そしたらどうでしょう。
「バズった次の記事が肝心」と気負い過ぎて
何を書いても自分を「よく見られたい」「賢く見られたい」欲が出てしまって、だっさださな文章になる。
これではいかん、と過去にあった悲しい・ムカつく出来事とか引っ張り出してみる。すると今度は、「なんかいつも被害者な私」になってしまう。これもこれでダサい。

小説もムズいけど、エッセイもムズい。
「自分を書く」って難しい。
お正月はいろんなエッセイを読んで研究したいと思う。
上手な距離で「自分」を書けているエッセイがあったら教えてください。
あと、清、こんな題材で書いてみっていうのもあったらぜひ…。


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