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小説家になったらこの話する BNW報告書  

情熱大陸とか徹子の部屋とかプロフェッショナルとかダ・ヴィンチの作家特集に自分が出るとき、どんな話しようかなって考えることありますよね。

え、ないんですか…?
うそ…、あれってそういうシミュレーションするためのコンテンツじゃないの…??

すみません、冗談です。

私は長らく妄想してきたんですけど、自分が「小説家になりたい」と決意したエピソードとして、絶対これは言うって決めている15歳のときに親友のAとやってた交換ノートの話があります。

その名も、BNW報告書。

親友Aの名前の部分は加工してお届けします。お暇な方は、ちょっと見てやってください。

すみません、今も昔も字は下手です。

1997 BNW発足。この同盟は一般的な価値観だけによって今まで「ブス」といわれ、しいたげられてきた人々が団結し、発足したものである。
そもそもブスとは、美人とはなんなのか。どこからがブスでどこからが美人なのか。目が大きくても口が小さくても美人の部類には入らない人々がいる。そう、もともと「美人」「ブス」などないのだ。多くの場合その人自身で「私他の人よりブスやわー」と思いこんでいるだけなのである。
私は今声を大にしていいたい。
「この世にブスなどいない。しかし美人もいないのだ」と。
私はあの著名なA氏と対談することに成功した。あのA氏も私と同意見である。相談し合った結果同盟を作ることにした。
それがこのBNWである。
それは「ブスでなにが悪い!」という意味、また「ビジンでなにがわるい!」という意味もある。
「美人」「ブス」これはただの名詞にすぎない。そして私はブスに当たるだけである。法りつで美人は良い、ブスは悪いと決められているわけではない。
私はブスだ!私はブスなのだ!
私は私とA氏を自ら「純粋人間」と呼びたい。
私たちはとても純粋なのだ。純粋こそがブスなのだ。
ああ私はたたえよう。
純粋人間に幸あれ!
1997,2,4 自宅にて。

BNW報告書より

すごいエネルギーですよねw
ここには、見た目に死ぬほどコンプレックスをもっていた自分を文章によって笑い飛ばそうとする、なにかとてつもなく純粋なパワーを感じるのです。書いたのが自分だからかもしれませんが…。

左は親友Aの文章。引用は部分に留めますが、すばらしい文章です。

彼女のこの回で好きなくだりは、
「さて、魅力的な人とはどんな人なのだろう?ブス?それもけっこうです。美人?まぁまぁそうでしょう。魅力というのは個性なのです。美人が魅力的という考えは、さっさと捨て去りましょう!」

言ってることも素晴らしいのですが、「それもけっこうです。」ってつなぎ、めっちゃかっこよくないですか?

そして最後の「雨が降りそうですが、かさは持ってきましたか?」
ここ、一気に中学校の廊下の雨の匂いが思い出されます。(超個人的w)
私と親友は別々のクラスでした。このノートはいつも廊下で極秘文書のように交換していました。

さて、対して私の返事は右ぺージです。

ああ!何というもったいないお言葉。
私はけっして偉大なるA氏に文豪などと呼ばれるほどの能を持っていないのです。これもA氏の心が気高く、また寛大であることのあらわれでしょう。
さて私は今日も昨日グミンどもに「ボサボサ」などといわれたかみがたにしてきました。これは私のちょうせんです。何が正しくて何が正しくないのか。そんなものはどこにもないのです。BNWではボサボサでさえもほめ言葉にあたるのです。
ああ、そしてその結果、一般的価値観をもった非純粋的な人に「かわいいね」といわれたのです。
ここでBNWに入っていない人は「おせじなんかいらん」というところでしょう。
だがBNWは「おせじ」という言葉をただいまからマッサツします。
ほめられたのに「おせじ」というだけで人を信じないでいいのでしょうか。いいえ、こんなことはだんじてあってはいけないのです。
私は今ここにせんげんします。
「人にほめられることこそ最高の化しょう品である」と。
さぁみなさん、大いにほめあいましょう!
そしていつかかならずブスの地位を向上させ、すべての民(たみ)を純粋人間とよびましょう。
そうです、あなたは劣っていません。
1997,2,5 音楽教室にて

BNW報告書より

クレイジー……w
「そうです、あなたは劣っていません。」
めちゃくちゃかっこいいやん…。

この頃からもう、書くことでずっと救われてきたんだと思います。私の原点ともいえる作品です。


※A氏には掲載許可いただきました。

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