エッセイストになるまで【4】売れるタイトルか似合うタイトルか、それが問題だ
初稿に取り掛かる前に、エッセイ本のタイトル案をいくつか考えることになった。タイトルのニュアンスによって、エッセイの方向性も固まる。まだ仮とはいえ、大事な作業だ。
編集者時代も、本のタイトルを考えるのは好きだった。小説のタイトル付けもわりと上手い方なんじゃないかと思う。(井上荒野さんに褒められたこと、あるし!)
だから今回も張り切って考えた。
それをKさんと書評家の藤田香織さん、ライターの菊池良さんとの会食の場で見てもらえることになった。
案1「宇多田ヒカルじゃないほう人間」
今、こうして書いてみると、とても恥ずかしい……すべってる……。
もともと、そんなに面白いこと言える人間でもないのに無理しちゃってる。
ちなみにこれは、私が宇多田ヒカルと同学年だったことから、彼女が15歳でデビューして以来、ずっと自分とウタダを比べてしまい、鬱屈していたことから出てきた案。
案2「大凡人日記」
当初は「何者でもない自分」について書くつもりだったので、「凡人」というキーワードが浮かんだ。でも、凡人は凡人なりに充実していると思っているし、くすぶりを自虐トーンじゃなく書きたいと思っていたので、「大」をつけてみた。でもなんだかちょっと、マッチョっぽいっていうか、私の雰囲気と合っていない気がする……。
案3「今日も世に出ませんでした」
テレビの芥川賞受賞会見を横目に、自分は子どもたちにご飯を食べさせている……そんなイメージから出てきたタイトル。
案4「夢みる頃をすぎまくっても」
40歳、とっくに不惑な人生を歩んでいなければいけない年齢に小説家を目指した自分。でも、何歳だって夢をみたっていいじゃない。そんな思いから生まれたタイトル。もちろん、吉田秋生の漫画「夢みる頃をすぎても」のオマージュ。
この中で、「今日も世にでませんでした」が満場一致で「イイ!」と言われた。インパクトがあるし、「どういう本?」と興味もそそるし…。後日、コピーライターでもある小説ともだち・タカノくんにも相談したら、やっぱり「今日も世に出ませんでした」が最高!ということになった。
なったのだが……。
原稿を書き始めたら、なんだか「今日も世に出ませんでした」がしっくりこない。私ってそもそも世に出たいのかな? べつに有名人になりたいわけじゃない。小説を書いて、それが本になって、みんなに読んでもらえる人になりたいだけだ。
自分の書きたいことに一番近いのは、「夢みる頃をすぎまくっても」だった。でも、誰もが売れるのは「今日も世に出ませんでした」だと言う。
これは私の第一作だ。この売れ行きによって、二冊目が出せるか、エッセイストとしての仕事が来るか、作家と名乗れるかどうかが、決まる。
「中身と多少ずれがあっても、手に取ってもらうことが大事じゃないか」
出版社でヒット本を出すために試行錯誤していた編集者の自分が言う。
そうだよね、絶対売れたほうがいいよね。SNS的にもよさそうだもんね…。
でもどうしても違和感があった。
思い切ってKさんに相談してみると、あっさり「じゃあ、とりあえずは〈夢みる~〉で進めましょう」と言ってくださった。
タイトルが〈夢みる~〉になってから、「あ、あのことも書こう」「このエピソードも入れるといいかも」とエッセイが膨らみ始めた。やっぱり、こっちが合ってたんだ!
ところが……。
第二稿だったか、第三稿だったか。
Kさんが、「タイトル、もうちょっと考えてみませんか? 〈夢みる〉もいいんだけど、それよりもっとこのエッセイにぴったりくるタイトルがある気がするんですよね」という。
実は私も、原稿を進めながら、なにかもう一段上のアプローチがある気がしていた。それに、デビュー作が他人様のタイトルの文字りでいいんだろうか、というのもじわじわと気になってきた。
やはりここは、完全にオリジナルの、世界に一つだけの題を……。
と、いうわけで、正式なタイトルは「今日も世に~」でも「夢みる頃を~」でもなく、違うタイトルになりました!
(でも、散々迷ったこの二つにも愛着わいて、こっそりエッセイの中で使いました)
正式タイトルが何になったか……どうぞお楽しみに!
(ハードル上げたな…w)
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