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「おもしろさ」を消費する心理

 ひとは、なぜおもしろいものにお金を払ってしまうのだろう?

 2年ほど前、あるテレビドラマにはまった時期がある。遊川和彦脚本「35歳の少女」。25年間意識不明だった少女が35歳で奇跡的に目を覚まし、10歳からの空白期間を埋めるべく成長していく物語だった。
 ちょうど私自身のうつヌケ期で、約30年の思考停止状態から目覚め始めた頃と重なった。そのため主人公に猛烈に感情移入してしまい、毎週ドラマ開始時刻5分前には飲み物と筆記用具(名ゼリフなどあったらメモするため)を用意して、テレビの前にスタンバイし、物語を堪能した。
 それだけでは気が済まず、家族に内緒で課金コンテンツhuluに登録し、テレビでは非公開のオリジナルストーリーも繰り返し見た。amazonで南々井梢の小説版も買ってしまった。当時、自分一人の楽しみにお金を使うことが後ろめたいと感じていた私にとっては、我ながら意外な散財だった。
 ・・・が、払ってでも見たかったし、買ってでも読みたかった。○○したい、という気持ちになれるのは脳内の巡りが良くなってきたしるしだと、ポジティブに考えることにした。

 今にして思うと、ドラマを楽しむことで自身の内部にある「生命エネルギー」らしきものが体の外へ発散され、次の「消費する」という行動を呼びだしたのだろう。面白さと楽しさは、人を根本から元気にする。お金を払ってでも満たしたいほどの欲求を、しばらくぶりに覚えた出来事だった。(面白い・楽しいが感じられない程に、それ以前の私は病んでいた。病むことについて書くのは別の機会に譲ることにする)

 「おもしろさ」を感じるとき、ひとの心は元気を得る。
 「おもしろさ」を消費して元気を得たら、その元気を元手に次は別の「おもしろさ」を生産してみたい。生産するからには販売もしてみたい、などという夢までボワンと浮かんでくる。

 ・・・元をとりたいと願う私は、そろばん高くて浅ましい人間だろうか。

あなたの貴重なお時間で、最後までお読みくださりありがとうございます。