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私の〜恋愛暗黒時代〜⑦これってドラマですか!?

34歳になる年の春。
私の大阪新生活は順風満帆なスタートを
切りました。
周囲の環境バッチリな市内の新築マンション。
福岡から持ってきたブランドチャリンコ。
カジュアル兼ちょいセクシーなワードローブ。
巻きもストレートもオッケーなロングヘア。
念願だったマネージャー職というステータス。
関西では珍しがられた福岡女というスペック。
実家では着ることがなかった可愛い部屋着。
オシャレ雑貨屋で買い集めたオシャレ食器達。
夢にまでみた、なんてイケてる生活!
そして、なんてイケてるワタシ!
毎日スタバのコーヒーを片手に颯爽と街を
練り歩きたい!そんな気分の、ブランニューな
毎日を送っていました。



新生活がスタートしてちょうど一ヶ月くらい
経ったころ、出張で東京に向かいました。
そして、その夜、関東に住んでいた親友が、
ある男性を私に紹介したいと、食事に誘って
くれました。食事会に来ていた男性陣二名の
うちの一人は、普通のスーツに身を包んだ
素朴感のある30代後半の男性。もう一人は、
マイケルジャクソンのスリラーを彷彿とさせる、真紅のレザージャケットを羽織った自営業の
50歳手前の男性でした。
私はてっきり、前者の30代男性を紹介された
のだと勘違いし、その後、こちらの男性と
数回やりとりをしていたのですが、彼は既婚者
であることが判明。この時に初めて、親友が
私に紹介したかったのは、マイケルジャクソン
の方だったんだと知りました。
なんせ、このお方、私よりも15歳も年上で、
住まいは品川の高級マンション。さらに、
これまた真紅のジャガーにお乗りだという、
これまでの私の人生では、かすることも、
すれ違うことも無かったであろう、ド派手な
おじさんだったので、まさか、この人を紹介
されているなんて夢にも思っていませんでした。



数週間後、このおじさんが仕事で大阪に来る
ついでに、2人で食事に行くことになりました。
今回はどんなド派手な出立ちでいらっしゃる
のかと、内心ドキドキしていたのですが、
予想をくつがえすシックな装いで登場した
おじさんは、50歳近い年齢の割にすごく若く
見えるし、お店のチョイスも洗練されているし、聞き上手だし、女性を心地よくさせるのに
長けていて、さすが大人の男性だなぁという
印象でした。
そして、お酒も会話も程よく進んだころ、
おじさんから「試しに付き合ってみない?」
と言われました。正直なところ、あちゃー、
どうしようと戸惑いました。
いくら若く見えるとはいえ、実年齢が15歳も
離れていることが、大きなネックでした。
翌日、この男性を紹介してくれた親友に相談。
まあ、試しにということだし、とりあえず
付き合ってみることにしました。



こうして始まった、このおじさん彼氏との
大阪〜東京の遠距離恋愛。
当時は、私も、新天地の大阪で全集中の仕事を
しなきゃいけなかったし、毎日欠かすことなく
頻繁に連絡を取り合っていたし、一人で自営業を
営むおじさんは、とても自由な人だったので、
一ヶ月のうちの数週間を私の家で過ごしたり。
適度な距離感が、とても心地のよい関係でした。
それどころか、自分では到底手が出せない
高級レストランに連れて行ってもらったり、
東京に遊びに行った時にはイケイケの外車で
送り迎えをしてもらったり、会員制のリゾート
ホテルやら海外の高級ホテルに、VIP扱いで
宿泊させてもらったり。などなど。
中流階級出身の私にとっては、どんどん目が
ハートになるようなプリンセス体験をさせて
もらい、「私が待ち望んでいた王子様は、この
おじさんだったのかもしれない!」と、すっかり
おじさん彼氏の虜になってしまったのです。



そんな風に、夢見心地の魔法にかかってから、
10ヶ月くらい経ったころでしょうか。
私達はいつものように、就寝前に電話をして
いました。が、その時、おじさんが、私の発言に
対して唐突に怒り始めたのです。
そして、その翌朝から、LINEを完全にブロック
されてしまいました。
私が、なにか彼の気分を害する、悪いことをして
しまったのだと、猛烈に自分を責め、反省し、
一向に既読になる気配のない彼のLINEに
「ごめんなさい」と、メッセージを送ってみたり
しましたが、ウンともスンとも連絡は取れず、
朝から晩まで、不安と悲しみで胸が締めつけ
られるような毎日を過ごしていました。
そして、それから一週間くらい経ったある日、
まるで何事もなかったかの様子で、ふたたび
彼と連絡がとれるようになったのです。
その後の彼の様子も、特段、これまでと変わり
なく、いつもの優しい彼に戻っていました。
「あれは何だったんだ?」と、完全にハテナで
いっぱいでしたが、それよりも、私にとっては
また彼と交際が続けられる喜びを感じる方が
優っていました。



が、しかし、その後も、同じパターンで突然
LINEをブロックされ、音信不通になることが、
何度か繰り返されるようになったのです。
私は、その度に、
「また、私が何か悪いことしたのかなぁ」
「今回は、あと何日待てばいいのかなぁ」
「このまま、連絡取れなかったらどうしよう」
「私は、もう嫌われてしまったのかな」
「このまま、私は捨てられてしまうのかなぁ」
と、寝ても覚めても、答えの出ることのない
自問自答を繰り返し、そして、どんどんと
膨らむ悪い妄想に、脳内も精神もむしばまれ、
まるで生きている心地のしない日々を送る
羽目になるのでした。



そして、その事件は、最後のLINEブロック
期間中に起きました。
彼との件が原因で、眠れない夜が続いていた
のですが、その日は、明け方にうとうとと
眠りについていました。
すると、枕元の携帯電話に、彼からの通話
着信が表示されているではありませんか!
私は急いで電話に出ました。
私、「もしもし?」
……しばらくの沈黙のあと、
「もしもし。。どなたですか?」
耳に入ってきたのは、女性の声でした。
一瞬、状況が飲み込めず、完全に思考が固まり
ましたが、ただ事ではない事態が起きている
ことは分かりました。私は彼女に訊ねました。
「彼はどこにいるんですか?」と。
彼女:「彼は隣にいますよ」
私:「彼に電話を代わってください」
彼:「ゴニョゴニョゴニョ」
寝起きで、まだ状況を把握できていない彼は、
しどろもどろで何を言ってるのか不明でしたが、
徐々に事態が理解出来てきた様子でした。
私:「どういうこと?説明して」
彼:「この女性と結婚を考えている。今まで、
良くしてもらったけど、こういうことだから」
私:「わからない。もっとちゃんと説明して」
彼:「もう、そういうことだから」
少し涙混じりの声とも聞こえる、なんとも
情けない声。なんの説明にもなっていない
この会話が、彼との最後の会話でした。
その後、一方的に電話を切られてしまいました。
こんなドラマみたいな終わり方って、本当に
あるの!?今まで私との関係はなんだったの!?
悔しい。でも、あまりに急な出来事すぎて、
涙すら出ない。私は完全に思考停止・放心状態
でした。



そして、その数分後、また彼から着信があり、
電話に出てみると、この見ず知らずの女性
からでした。彼女も、私が誰なのか、そして、
何が起きているのか確かめたかったようです。
私たちはお互いの素性を明かしました。
そして、彼から二股をかけられていた事実を
確認しあったのでした。
彼がこの女性と一緒にいる間は、私をブロック。
反対に、私と一緒にいる間は、彼女をブロック。
私が苦しめられていた謎のブロック期間は、
そういう理由で設けられていたようです。
私も彼女も、言うなれば、このおじさんから
騙されていた被害者同士。会話が進むにつれ、
なんとも言えない連帯感のような感覚が
芽生えてきました。



彼女は、私と同じく九州の生まれ。
昼は会社に勤め、夜はクラブで働きながら、
私の故郷である福岡で一人暮らしをしている
女の子でした。そして、年齢は、なんと、
私より10歳も年下でした。
とても素直そうで、芯の強そうな女の子だなぁ
というのが、電話口で抱いた彼女の印象でした。
で、私は彼女に尋ねました。
「私は振られちゃったけど、あなたはこれから
 彼とどうするつもりなの?」
彼女はこう答えました。
「もう終わりにするつもりです」と。
私はそれを聞いて、ホッとしました。
だって、そうでなくちゃ、この3人のうちの
私だけがツラい目に遭うということでしょ!?
そんなの絶対におかしい。彼も痛い目に遭わな
ければ、私の傷ついた心は浮かばれない。
そう思ったからです。



彼女との電話を切ったあと、一人では居ても
立ってもいられず、誰かに助けて欲しくて、
母親に電話をしました。というのも、当時、
大阪に出てきてから、仲良くしてもらっていた
仕事仲間はいたものの、こういったことを
相談できる友人がいなかったのです。
いい年して、失恋ごときで、親に心配をかける
なんて情けないと思う反面、母の声を聞いて
ボロ泣きしました。そして、自分が思う以上に
娘のヤバさを察知してくれた母は、その日の
うちに福岡から飛んで来てくれたのでした。
母の声を聞いて、少し冷静さを取り戻し、
なんとか仕事に向かったのですが、深すぎる傷を
負った故に、まともに仕事にならない。
よりによって、ちょうどイベントを開催中で、
頑張らなきゃいけないのに、全然頑張れない。



母は、結局、一週間以上も実家を空けて、
私の元にいてくれました。全く食欲の無い
私でも食べやすいようにと、うどんなどを
用意してくれたのですが、一本もすすれず。
まるで魂を抜かれ、モヌケの殻となった娘と
過ごす時間は、母にとっても辛かっただろうと
思います。いつまでも、母にいてもらうわけ
にはいかない。しっかりしないといけない。
母に、もう大丈夫だと告げ、帰ってもらった
後の孤独との戦いといったら。。。



その後も、すでに終わってしまっているにも
関わらず、お別れまでのカウントダウン中に
繰り広げられた彼とのやりとりや、彼の言動
などを懸命に思い起こし、意味もなくご丁寧に
その記憶を時系列に並べ直してみたり。
彼に結婚まで意識させた二股相手の彼女の
ことが、やっぱり気になって、彼女の名前を
手がかりにSNSを探し出して、暇あるごとに
覗いてみたり。その中に映る彼女は、とても
可愛らしくてキラキラしていて、見れば見る
ほど、自分と比較して自信を失いました。
「私なんて、やっぱり年だし、いくら頑張った
 って、やっぱりブスだし。やっぱり私なんて
 選ばれないよね」って。
今でこそ、このクソジジイにカカト落としの
一発や二発、喰らわしてやりたい気持ちに
なりますが、当時の私は、彼に対する怒り
よりも、やっぱり自分は女性としての価値が
ないんだという、自分への無価値感を感じざるを得ない心理状態が数ヶ月も続いたことが、
とても苦しく辛かったです。



という、大阪新生活スタート後、記念すべき
第一回目の失恋話をお届けしました。
このおじさんとのストーリーを書き始めた矢先、
何故だか体も心もすごく重くなり、一向に書き
進めることが出来ませんでした。
今の私なら大丈夫!と思っていても、やっぱり
すごいダメージを受けていたんだろうなぁって
思います。だから、心の中で、当時の自分に
こう言ってあげました。
「ほんと、よく頑張った!よく乗り切った!
 偉すぎ!すごすぎ!かっこよすぎ!最高!
 安心して。今の私は、とてつもなくスーパー
 ウルトラハッピーになってるからね」って。
当時の私よ、本当にありがとう。
それでは、長くなりましたが、お読みいただき
ありがとうございました。
また次回もお楽しみになさってください。


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