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私の〜恋愛暗黒時代〜⑤30代へ突入

いよいよ突入しました、30代。
それまで、“二十”という数字に甘んじて
どこか余裕をぶっこいていましたが、
30歳をむかえたことにより、若干ピリリ
とした気持ちになることも増えました。
例えば、
・「まだ若いから大丈夫よ」という言葉に
どこかウソのにおいを感じる
・両親からの「はよ結婚できたらいいのにね」
が冗談まじりのようで本気であると分かる
・合コンで初対面の異性に年齢を公表する時、
少し躊躇してしまう
など。

“三十路”っていう響きに、逃れることの
できない老化感を感じ、ちょっと過敏に
反応しすぎていたようです。



少し話はそれますが、私は販売業に従事して
いたので、皆さんが忙しく働いている時期に
長期休暇をもらい、よく一人でひょいっと
海外旅行に出かけていました。
でも、この年、新型インフルエンザが
世界的に大流行し、会社から海外渡航の
禁止を言い渡されてしまいました。
もっぱら国内旅行に興味がなかった私は、
行き先の選定に迷いまくりましたが、
ふと、“屋久島”の文字が脳内に浮上。
屋久島について調べれば調べるほど、
すごくいいっ!ここにしよう!と即決。
もっぱらシティガールだった私でしたが、
ノースフェイスに駆け込み、トレッキングに
必要なアウトドア用品一式を購入しました。
旅費よりも高くついたわぁ。涙。



緑の苔むす森を散策したり、ガッツリ登山
したり、ウミガメの産卵を見たり、綺麗な
夕日にうっとりしたり、すっかり屋久島の
大自然の魅力に惹きつけられてしまいました。
そして、沢登りなる、それまで全く耳覚えの
ないアクティビティに参加した時のこと。
引率の男性ガイドさん2名にお世話になり、
澄んだ水が流れる沢や滝を、逆流して登る
という、これまた人生初体験をさせて
もらったわけでございます。
そして、この時のガイドさんのうちの1人が
後に私の彼氏となるのでした。



彼はアメリカの大学に通っている学生さんで、
夏休みに帰国している折、ネイチャーガイド
として屋久島でアルバイトをしている
とのことでした。そして、彼も私と同じく
福岡県民だったので、じゃあ、アメリカに
帰る前にタイミングが合えば、食事でも
行きましょと、連絡先を交換したのでした。
そして、その数ヶ月後、彼から連絡をもらい、
久々に再会することに。
屋久島トリップ後、すっかり大自然の虜に
なっていた私。彼は大学で自然環境分野の
学問を専攻しており、それはそれは興味深い
話を山のように提供してくれました。
私の知らないことを、たくさん知ってる!
そして、福岡を離れたくても離れられていない
私と正反対に、単身アメリカで頑張っている
なんて、まじ尊敬!!と思いました。



彼がアメリカに帰ってからも、ちょくちょく
連絡を取り合っていたのですが、ある日、
友人と出かけた花火大会の写真を彼に送った
ことが、なぜか彼の胸に強く刺さったらしく、
彼の方から、付き合いませんか?と告白され、
交際がスタートすることに。
とはいえ、日本とアメリカの超遠距離恋愛。
正直、彼ってどんな顔だったっけ?っていう
くらいあっさりしたものでした。
一度、彼に会いにロサンゼルスに行きました。
ところが、私のテンションはフラットなまま。
あれ、この人、私の彼氏なんだっけ?てな
感じの超低空飛行状態でした。



しかし、ここからです。
彼は大学卒業後の就職先として、大手インフラ
企業を希望しており、見事に某大企業への内定を
ゲットしたのです。よっしゃーー!!!
このまま、順調に彼との交際がうまくいけば、
私は大手エリートサラリーマンの嫁。
同時に脱福岡も叶えられるダブルチャンス。
よし、この男、逃がしてたまるものか!!
と、鼻息を荒立てたのでした。


大学卒業後、入社までの数ヶ月を福岡の実家で
過ごすことになり、私もよく彼の家に遊びに
行かせてもらいました。ご両親、ご祖父母、
兄夫婦とで暮らす大家族。皆さん、とっても
仲良しで、私のこともいつも暖かく迎え入れて
くださいました。いつの間にか、私は自分の
家族よりも、彼のご家族と一緒に過ごす
ことの方が多くなり、そして、ついに、
こう思うようになったのでした。
「私も、このご家族の一員になれるんだわ。
 もう、結婚も夢ではないわね。」と。
だから、彼にこう伝えました。
「私の両親にも会って欲しいっちゃけど。」
……
えっ?あれっ?いったいこの空気感は何!?
この時、彼から瞬時に放たれたオーラに、
何かイチマツの不安を感じとったのですが、
実際に、私の両親と4人で会食をする約束を
とりつけました。
私の両親からしても、特に娘からの結婚報告が
ある訳でもなく、ただ、えらく年の離れた
彼氏を紹介させるだけの食事会。
きっと、????だったことと思います。
しかし、当の私は、まるで戦国時代の策士
かのように、「よし。これで、彼との結婚に
向けて、周囲の石垣は固めたぞ。しめしめ。」と、ほくそ笑んだのでした。
ちなみに、彼は私より8つ年下だったような。



が!!
彼は春に晴れて新社会人として、大阪に
越していったのですが、そのわずか数ヶ月後、
あっさりと振られてしまったのです。
彼に、電話口でその理由を聞いてみると、
「まゆは、すぐに結婚したいかもしれんけど、
オレはこの会社で戦っていくために、まずは
仕事に集中せないかん。やけん、ごめん。
まゆも年齢のこと考えんといかんやろ?
実は、以前、まゆから両親に会って欲しい
って言われた時から、別れた方がいいかな
って考えよったっちゃん。」
ガーーーーーン!!やっぱりあの時に感じた
妙なオーラは間違いではなかったのか。
そっ、そして、私はすでに31歳。
結婚のビッグチャンスを逃してしまった。
ああああーーー。
と、奈落の底に突き落とされたのでした。



両親にも彼のことを紹介していた手前、
別れたことを母に報告したところ、
「あら、そうね。いや、よかったよ。
 正直、あの子と付き合っとる時、
 真由子は無理しとうなぁって
 思っとったもん。よかよか。」だって。
すっ、すごい!やっぱり母親ってすごい!!
この、母の言葉にどれだけ救われたことか。
とはいえ、数ヶ月間はしっかり失恋気分を
味わい、毎度恒例のマゾヒスティックな
自分責めの日々を送りました。



今回は、
・あーあ、結婚となるとやっぱり誰も私を
選んでくれないんだ。。。
・やっぱり年齢のこと指摘されたな。
あー、私はもう歳なんだな。。。
・今年でもう32歳でしょ、、新たな出会い
なんてあるのかなぁ。。。
・せっかく福岡を出れるはずだったのに、
ずっとこの実家で歳をとっていくのかなぁ。。。



年齢が増していくと同時に、女性としての
市場価値を失っていくのではないかという不安。
もともと、自分に自信があるわけでは無い
のに、さらに失っていく自信。
この歳にして、まだ実家で両親のお世話に
なり続けなければならないのかという、
情けないやら、恥ずかしいやら、申し訳ない
気持ち。ただ誰かに私を必要として、そして
愛して欲しいだけなのに、いつまで、ひとり
ぼっちなの?っていう寂しい気持ち。
を、思う存分に味わうのでした。
おしまい。



補足です。
20代後半のモテ研究期ころから、段々と
本来の自分というものが分からなくなって
きてしまいます。そして、自分がそのような
迷走状態であることすら自覚症状が無く、
どんどんと本来の自分の魂たるものとの間に
深い溝を築いていきました。
これから先、ある意味、自分の魂を取り戻す
ための旅に出掛けたんでしょうね。
辛かったけど。
ということで、どんどん深みにはまっていく
痛い恋愛話、また次回に続きます。
お読みくださり、ありがとうございました。


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