小説『年輪はやさしく甘く包まれて』
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子どものころからいつも、家に帰るとまず聞こえてくるのはピアノの音楽だった。
母は自宅の居間をつかって小さなピアノ教室を開いていて、ぼくがランドセルを背負って帰宅するころにはまだレッスン中で、ドアを開けるといつも、誰かの弾くたどたどしいピアノの音だけが聞こえてきた。
「ただいま」とぼくはいつも口のなかだけで小さく言って、自分の部屋に行く道すがら、居間につながるガラス扉をそっとのぞいた。普段、テレビを見るときにくつろいで座るための革張りのソファがあって、その向こう側に、黒い艶やかなアップライトピアノを弾いている生徒―おばさんやお姉さん―のうしろ姿がみえた。そしてそのとなりには指導する母の姿勢の良いうしろ姿も。ぼくは押し黙ったままそれらの光景をじっとみつめ、それから抜き足差し足で音をたてないよう気をつけながら、自分の部屋まで静かに向かった。
母はレッスンを終えると、ぼくの部屋までやってきて、ようやく「おかえりなさい」と笑顔をみせた。それからふたりで階下におりて、先ほどまでレッスンが行われていた居間で一日の報告も兼ねたおやつ会をした。といっても、そこに用意されていたのは、バナナやりんごといった果物で、それらはおやつというよりは夕飯までの空腹を紛らわすものといった感じで、若干の物足りなさは否めなかった。が、それらはあくまで前座的おやつ会のおやつであるのだから、それに対して当然文句は言えない。
ぼくにとっての正式なおやつ会は、毎月末の日曜日に行われるおやつ会だった。
午後三時になると、父と母とぼくの三人で食卓を囲み、バウムクーヘンを食べるのである。物心ついたときからすでにそれは習慣的にあって、毎月、最後の日曜日になると、父が買ってきたバウムクーヘンをみんなで食べるのだった。
なぜ毎度バウムクーヘンなのかといえば、それが母の好物だからである。
当初は、結婚記念日を祝うために、父が母の好物であるそのバウムクーヘンを買ってきたところから習慣化したらしいのだが、ぼくが生まれたことによって、やがてそれは月末、それぞれの一か月分の労をねぎらう儀式のようなおやつ会になった。
時計の針が午後三時ちょうどを指すと、まずぼくが席に着き、つぎに母が小皿とフォークとナイフを持って席に着く。そして最後に父が大皿にのせたバウムクーヘンを両手に捧げ持つように持ってくると、ぼくと母は笑顔で目を見合わせ、歓喜の拍手を送った。
毎月、父が買ってくるものは同じバウムクーヘンであるにも関わらず、それがテーブルの中央に置かれるときには全員の胸が高鳴った。幾重ものも年輪の入ったバウムクーヘン。その外周を白いチョコレートがヴェールのようにうすく覆っている。上品でエレガントな見た目でありながら、佇まいはどっしりしている。
ケーキ入刀、といった具合に、毎度代表して母がナイフを入れた。
きっちり平等に三等分、とはいかずに、たいてい一番大きいのはぼくへ、その次に大きいものは母へ、一番小さいものは父へと行き渡った。
「ではみなさま。一か月間、ご苦労様でした。それでは、いただきましょう」
母の合図で一斉に、扇形になったバウムクーヘンに取り掛かった。
父はお行儀よくフォークで一口大に切り分けながら食べ、母は器用にさらにナイフを斜めに入れて削ぐようにして食べ、ぼくはお行儀なんてお構いなしに手でつかみとって、年輪を剥がすようにして少しずつ食べた。
「おいしいわね」
「うまいな」
「みてよ、上手にはがれた!」
三者三様の食べ方でバウムクーヘンを味わいながら、口々に感想を言い合った。
穏やかな時間の流れる午後はしあわせであり、平和であり、安らぎそのものだった。これから再び始まろうとしている新たな一か月間のことはひとまず棚のうえに置いて、それぞれに与えられたくつろぎの時間を存分に愉しんで味わう。それが、このおやつ会の趣旨でもあった。
そのころ、ぼくは学校が苦手だった。みんなの輪に飛び込んでいくのも苦手だったし、サッカーも苦手だったし、野球も苦手で、徒競走だっていつもビリで図工も下手くそだった。ピアノはどう?と近所の人たちに期待して訊かれることもあったけれど、ピアノに関しても残念ながらぼくは、母からその才能を受け継ぐことはなかったようだ。
そしてその不器用さはおそらく父譲りのようだと、ぼくはうすうす気がついていた。父もそのころ会社に対して苦手意識をもっていて、ぼくと同じく、朝、仕事をしに家を出るときは憂鬱のため息を吐き、夜、家に帰ってくれば安堵の吐息を漏らしていたから。
この家での精神的支柱はだから、間違いなく母であるといえた。
母はいつでも穏やかで落ち着きがあり、芯のある強い人だったからだ。ピアノ講師である自身に誇りを抱いていて、ぼくや父のように弱音を吐くこともなく、喜びでもってピアノの仕事に従事していた。
そんな母の弾くピアノのメロディーには不思議な力があるとぼくは思っていて、その音色を聴くとぼくの心は自然と勇気づけられた。
たとえばエリックサティのジュトゥヴやショパンのエオリアンハープ。おやつ時間の合間、気分がいいと、母は率先してピアノを弾いた。軽やかな、弾むようなメロディー。流れるような、滑らかな音色。母の骨ばった指から自在に生まれるピアノの音楽に耳を傾けながら、ぼくらは気分よくバウムクーヘンのおいしさをただひたすら堪能していた。
◇
そんな、ピアノ講師が使命のようにもみえる母は、でも、最初からピアノ教室の講師を目指していたわけではなく、もともとはプロのピアニストを目指していたのだという。しかしそれは想像以上に難しいことで、母は夢を追う傍ら、ホテルのラウンジでピアノを弾くアルバイトを始めたのだという。そこにたまたま、仕事の商談で訪れたのが父だったのだ。「いわゆる一目惚れってやつだな」と父はよく恥ずかしげもなくぼくに話してくれた。その一目惚れ以降、無理して、背伸びして、お洒落して、父はホテルのラウンジになんて用もないのに、何度も通ったのだという。そこからどういう細かいいきさつがあってふたりが結ばれたのかは知らないが、とにかく、父の不器用ながらの優しさが伝わって、ふたりは付き合い、のちに結婚し、こうして一人息子のぼくが生まれたのだという。母がピアニストの夢をあきらめたのも父との結婚がきっかけだったようで、結婚後は父の勧めもあって、母は自宅を使って小さなピアノ教室を開いたのだという。もっとも、母に言わせれば、それは「あきらめというより、新たなやりがいをみつけたのね」とのことで、誰もが気軽にピアノをたのしんでもらえるよう、ひとりひとりの個性に合わせた指導をするのが今にも続く母の生きがいとなった。
「才能はね、誰にだってあるものなのよ。たとえば、好きで続けられることがあるのもひとつの才能。誰かより抜きんでていることだけが才能じゃあないのよ。それはあくまで結果論」
母はよく、ぼくにそんなことを言い聞かせていた。
「だからほら、あなたにだって、探せばちゃんと才能はいくらでもあるのよ」
それは母が人一倍、才能と努力がものをいう世界で挑戦してきたからこそ見出した答えなのだろうとぼくは思った。ならばはたして、不器用なぼくには一体どんな才能があるのだろうか、と首をひねってはみたものの、そのこたえはなかなか見つけられそうになかった。
そうして日々は続いていき、億劫ながらも、ぼくも父も、学校へ仕事へと赴き、毎月末の日曜日には互いの労をねぎらい合いながら、変わらず同じバウムクーヘンでおやつ会を続けていった。そして反抗期もないまま、やがてぼくは中学生になり、高校生になり、大学生になり、社会人になった。日々は静かに積み重なり、気がつけば年輪となってかなりの厚さを増していた。まったくもって、平凡といえるのかもしれない。ぼくら家族の重ねてきた年輪を遠目でみれば、それはきっと平凡といえるのだろう。けれど、よく目を凝らしてみれば、その年輪は微妙にいびつな線を描いている。機械がこしらえたような均一な道ではなく、人間の歩んだ道なのだから当然、そこにはいろんな層が重なりあっている。
たとえば、ぼくが中学生のとき、母が手の怪我をしてピアノの講師をしばらくのあいだ休まざるをえなくなったり、ぼくが高校生のとき、人の良さにつけ込まれて父が詐欺にあって多額の損失をしたり、ぼく自身も、希望の大学にことごとく落ちていっときふさぎ込んだり、こっぴどい失恋をしたり、それは細かく挙げればきりがないほど、いろいろなことがあった。一方で、喜ばしいだって同様にあって、たとえば、母の教え子がピアノコンクールで優勝したり、父が無事定年を迎えて退職後は草木のボランティアという新たな趣味を見出したり、ぼくが教員免許状を無事取得して、その後、採用試験にも受かり、就職は第一志望としていた高校の先生になれたり、一人暮らしを始めたりと、細かく挙げればきりがないほど、いろいろなことがあった。
そしてそれら喜びや悲しみやさまざまな感情の波ある日々のなかの小休止のように、毎月末のおやつ会は変わらず存在していた。どんな出来事があっても、その時間は常に平和であり、しあわせだった。もちろん、厳密にいえば、三人が揃って参加できないときだってあった。でもそんなときでも、その欠席者のためにバウムクーヘンはラップに覆われ、用意されていた。自分の好きなタイミングで食べられるよう、戸棚にちゃんと保管されていた。素朴で優しい甘さのお菓子は、母にとっても、父にとっても、ぼくにとっても、癒しそのものだった。はたでみたら、可笑しな習慣だと笑われるかもしれない。よくも飽きもしないねと驚かれるかもしれない。でも、そのおやつ時間はぼくら家族にとって、日々を継続していくために欠くことのできない、特別な時間だったのである。
◇
「ゆたかね」
バウムクーヘンを一切れ食べ終え、紅茶で口を潤しながら母は満足そうに微笑む。昔から母は、おやつ時間に幕がおりる頃合いになると、決まってこの台詞を言うのだった。だって、おやつって、実際にはなくたって人は生きていけるものでしょう。つまりは愉しみ。それって、とても豊かだし、平和のあらわれみたいなものね、と。たしかに、大人になるほどに、その意味合いが理解できる。こんなふうにおやつができるというのは、豊かであり、平和であることの証だろう。でも見方を変えれば逆に、それをすることによって、ぼくらは豊かさと平和を得ることができる、といえるのかもしれない、とも思う。
「毎週、来なくなって大丈夫なのよ」
紅茶のカップをゆっくりソーサーに戻しながら母は言う。相変わらず骨ばった指を持つ母の手は、皮膚がうすくなり、シミも目立ち、だいぶしわが入っている。けれど、それは力弱い印象を与えるものではなく、むしろしなやかな強さを年々増しているようにもみえる。
「でもやっぱり、ここでおやつしたいからさ。それにほら、ぼくはいまだ独り身ですし」
ぼくの言葉に母は呆れたように肩をすくめる。
「まあ、つまりは生存確認ってことね」
そう茶化すように言って、うふふと笑う。
五年前に父が他界し、代わりに今ではぼくが母の好物であるバウムクーヘンを買うようになった。迷ったけれど、ふたりになったことだし、父へのお供えにもいいからと、ホール型ではない、扇形のバウムクーヘンの入った個装タイプを買うようになった。
七十代になった母は、今もなお現役でピアノ講師をつとめている。そして変わらずおやつどきには、ぼくの心を勇気づける素晴らしいピアノを弾いてくれる。
「さて、せっかくだから今日はなにを弾きましょうかね」
何度調律したか分からない黒いアップライトピアノに向きあい、母はひとり言のようにつぶやく。やや背中を丸め、しばし思案したのち、軽快なメロディーを弾きはじめる。ぼくはバウムクーヘンを食べながら、母の奏でる音楽に身体ごと耳を傾ける。
そういえば、ぼくにも才能があるらしい、ということを、最近になってようやくぼくは知った。それは、教えるという才能。高校の教師になって二十年以上経ち、多少なりとも教師としての自信がついてきたころ、教育実習生となって再会した生徒にそう言われた。先生の授業、すごく分かりやすくて面白かったです。わたしが言うのは生意気ですけど、先生って、めちゃくちゃ教える才能ありますよね、と、きらきらした瞳で。もし、その言葉を真に受けていいのならば、この才能はおそらく母譲りのものではないかと思う。母のピアノ教室は教え方がよいと評判で、いまだ申し込む生徒はあとをたたない。そして、もうひとつ。これは自分でいうのはおこがましいが、不器用さがゆえに育まれた思いやりや想像力も、ぼくの才能のひとつなのかもしれない、と今では思う。生徒の悩みや気持ちを汲んで、おもんばかることができるのは、これまでずっと要領悪く生きてきたからこそ得られたものかもしれない。そしてこの才能はきっと、父譲りのものだとぼくはひそかに思っている。そして加えていうのならば、こうして変わらず、おやつを愉しみ、しあわせをちゃんと感じられることだって、立派な才能といえるのだろう、と今になってぼくは思う。
部屋を満たしていた軽快なメロディーが鳴りやみ、ぼくは素晴らしき演奏者に向かい称賛の拍手を送る。そのとき、重なり合うように、不思議と父の鳴らす拍手の音も聞こえてくるような気がする。
母はこちらに向き直り、軽くお辞儀をすると、よっこらせと、またもと居た場所に戻り、ダイニングの椅子にふたたび腰を掛ける。
「今日はもうひと切れ、いただきましょうか」
そう言って、扇形にカットされているバウムクーヘンに手を伸ばす。
「本当に好きなんだね」
フォークで小分けにカットし、嬉しそうに頬張る母に思わず尋ねると、その言葉、お父さんにも何度も言われたわね、と可笑しそうに母は笑う。
「そうね。これはわたしにとっての定番おやつ。だから飽きずにずっと好きなのね。それに、こうして変わらないものがあるっていうのは、なかなかいいものでしょう」
「たしかに。ぼくらはいろいろ変わってきたけど、このおやつだけは、ずっと変わらず同じままでいたからね」
「そう、これは同じ。だけど、みんな変わっていくの。移ろいゆくの。こうやって変わりながらも、人はひとつずついろんな模様の年輪を積み重ねていくの。でもね、丁寧に、真摯に、重ねてきた年輪はね、こうやって最後は甘く、やさしく、包まれるものなのよ」
と言って、母はフォークで刺した最後のひとかけらを口に入れた。
「うん、おいしいわ。ぜひとも、わたしの人生もそうありたいものね」
そう言って、少女のようないたずらな笑みを浮かべてみせた。
母にとって定番となったおやつは、父の定番となり、いつしかぼくの定番となった。そしてその定番おやつは変わりゆく日々のなかで、寄り添うようにずっと同じ姿でそばにあった。ふんわりと、優しく、甘く、実直に。そして、これからもきっと―、
「まだまだ長生きして、年輪、重ねていってくださいよ」
ぼくの言葉に母はほほえむ。
ぼくも母につられるように、もう一切れのバウムクーヘンに手を伸ばした。
(了)
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