『深呼吸の必要』の必要
つまり、きみのことは、きみが決めなければならないのだった。
きみのほかには、きみなんて人間はどこにもいない。
きみは何が好きで、何がきらいか。
きみは何をしないで、何をするのか。
どんな人間になってゆくのか。
そういうきみについてのことが、何もかも決まっているみたいにみえて、
ほんとうは何一つ決められてもいなかったのだ。
『深呼吸の必要』長田弘 より引用
自分はとうぜん自分であるはずなのに、
ときどき自分で自分が分からなくなるときがある。
誰かの期待に沿った自分になろうとしていたり、
あるいは自分以外の何者かになろうとしていたり。
そんなふうにして、自分で自分を見失ってしまいそうなときがある。
いま、自分はどこに向かっているのだろう。
何をすればいいのだろう。
自分の本心を無視して行動していると、
どこかで息苦しさを感じる。
やがて壁にぶつかる。
なんだか苦しいな、しんどいな、と思うとき、
わたしはときどき、長田弘さんの『深呼吸の必要』を朗読する。
するとなんとなく、たくましい気持ちになれる。
なかでも、「あのときかもしれない」という詩のなかにある言葉に、
はっとさせられる。
すべて決まっているようで、本当は何も決められていないのだということ。
もちろん、環境や状況に応じて否応なく決められてしまうことは往々にあるし、決めるも何もなく、自然の流れでたどり着くようなときもある。
けれどこの詩を読むと、自分が自分の意志で決めていくことで、
自分の軸がきちんと自分の中心に戻ってくることを思い出す。
するとちょっぴり勇気がわく。
もう一度、自分の胸に手をあてて、自分の本心に耳をかたむけてみる。
わたしは何が好きで、何がきらいで、本当は何をしたいのか、どうなりたいのか。
そうすると自分がまた、自分に戻っていけるような、そんな気がする。
ときどきそうやって、自分と対話しながら調整していく。
失敗したときも、間違えたときも、苦しいときも。
たのしいときも、幸せなときも、うまくいっているときも。
言葉を深呼吸する、あるいは言葉で深呼吸する、
と長田弘さんは語っている。
深呼吸の必要。
生きていくうえで実際の深呼吸は、健康のために役立つけれど、
同時に、気持ちが楽になる、ちょっと背中を押してくれる、何か気づきを与えてくれる―、そんな栄養になる言葉たちを深呼吸することもまた、生きていくうえで必要なのだと、『深呼吸の必要』がそっと教えてくれる。
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