マジョリティに対する寛容さ
マイノリティが権利を主張する際にはしばしば、迫害してくるマジョリティの否定が全面に出る。もちろん迫害を容認していたらマイノリティの地位は変わらないが(寛容のパラドックス)、否定の形態によっては、かえってマイノリティの地位を難しくするのではないだろうか。
SOGIを例に考える。今までは異性間恋愛や男女二元論が社会の常識であった。そして今の30代以降はそのような時代を生きて来た訳である。
しかし、ここ数年の間にlgbtムーブメンが急来し、今やSOGIという言葉に変わろうとすらし