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SOGIムーブが目指すべきところ

三回に渡るセクシュアルマイノリティに関する投稿の締めくくりとして個人的に考える、このムーブメントが目指すべき世界観について話してみる

1.2回目では過剰なカテゴライズの弊害、セクマイ擁護ムーブメントが裏側で差別者排除ムーブメントという性格を持たないように気をつけるべきという点、マイノリティは自身の円滑な地位向上の為に不寛容なマジョリティに対して多少寛容であるべきという点に触れた。

ではそのような手段の先にある目標はどのような世界だろうか

もちろん就職や社会生活で不当な差別的扱いを受ける事が無い事、法制度の中で婚姻など正当な権利を保障される事は間違いなく活動家の目指す所であり僕も同意であるが、一旦横に置いとくとし

ズバリ僕が思う理想郷は
無関心である。
『ふーん、そうなんだ。別に君が同性好きでも僕には関係ないというか、友達である事に変わりないからね。言い方悪りぃけどどうでも良いかなー。ちなみにタイプは?笑笑 えー教えてくれても良いじゃんかぁ。でも、教えてくれてありがとうね。』
これはもう模範解答である。
『だから何?笑。』くらいの軽いリアクションに当事者はどれだけ救われるか計り知れない

しかし実際には以下のようなものが多い。
当人が友人にカミングアウトした際に
『でも私は偏見無いし、大丈夫だからね。lgbtってこないだも学校で聞いたよ、大変だよね…』というのが現在もっともありふれた返しであり最悪である。背景にlgbtは私“たち''とは違うという疎外があるし、そこにいるのは友人では無くlかgかbかtである。
更にわかりやすく最悪な例は
『わー、〇〇から聞いたけど、あなたってlgbtなの!?一度見てみたかったというか、ずっとlgbtの友達が欲しかったの。』というもので信じられないが実際に一定数存在する。もはや1人の人格として接しておらず動物のパンダのような見せ物に成り下がっている。少なくともこの人は概念と友達になりたいわけで当人には一切興味がない。

どうも近年のムーブメントは私たちは可哀想なんだ!差別するな!という風が強く後者の最悪な返しを量産してしまっている。
『僕さぁ、ラーメンと植物と絵描きと、あとかっこいい男性好きなんだよね笑。』『へー、そうなんだぁ。』という会話が聞こえて来る世界を祈り締めくくりとする。

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