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ベビーカーに乗って旅に出るのは私

すっかりベビーカーのお出かけに慣れてしまった今となっては、少し大げさな表現かもしれないが、初めてベビーカーで街に繰り出した日のことは、忘れられない。
普段何気なく通り過ぎていた、何でもない道が、全く違って見えてくる。
歩道と道路の境目の、ほんの数センチの段差に怒りを覚えた。
いけるだろうとタカをくくって、ベビーカーをグッと押し出した瞬間、ぐわんとつんのめって、息子に衝撃が伝わる。
ごめん、ごめん、ごめん・・・脳、大丈夫?と大慌て。

それ以来、通い慣れた道もすっかりご無沙汰となった。

ひとり、あるいはふたりで歩くには、気持ちのよかった開けた道も、日陰が全くないという理由で、息子と歩く道からは除外された。

いつも使っていた駅も変わった。
少し遠くても、バスで行ける駅を利用して、週末買い物に出かける街さえも変更となった。オムツ替え台があるだけではダメで、授乳室がない街には足遠くなる。駅近くにベビー休憩室が充実している街は、なんて安心、居心地がいいのだろう。(そういう意味で、吉祥寺はベビー天国です。)

古本屋で働いていた時、スロープこそないものの、このくらいの段差、平気でしょう。ベビーカーもウェルカムですよ。と思っていたけれど、自分がいざベビーカーを押す側にたつと、ちょっとでも段差がある店を前にすると、「入ってみようかな」という気持ちにストップがかかっていることに気がついた。客商売をするなら、ちょっとの段差も無くさないとダメだと感じた。当事者にならないとわからないこと、想像の及ばないことがあるのだと痛感して面白かった。

総じて、
ベビーカーを押して街に繰り出すと、がらりと、本当にガラリと音を立てて世界が違って見えてくる。
そうして歩く道も、出かける街も入る店も変わり、生活も色を変える。
少しさみしいような気もするけれど、もうすでに忘れ始めていることに気づく。
懐かしさを感じつつ、新しい世界に興味を抱く。

まるで自分がベビーカーに乗せられて、新しい世界に連れていかれるようだ。
ベビーカーに乗せられて、私の方が旅に連れ出されているのかもしれない。

麻佑子

#日記 #エッセイ #子育て #育児 #ベビーカー

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