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落としたもの、失くしたものの正体

お気に入りのピアスを落としてしまった。
すぐに探せる場所へは、すべて赴いたが見つからない。

あまりのショックに、表情を忘れてしまった数時間。
私の異変に気がついた息子、いつもなら逃げまわるはずの寝かしつけの時間になるやいなや、「ねんねするよー。」と、たましいの抜けきった私の手を取り、寝室へ連れて行ってくれた。

元来、あわてんぼうな性格ではある。
出かける時の、忘れ物の一つや二つは当たり前で、2歳にならない息子に「ケータイ持った?」と毎度確認されるほどだ。
しかし、2人目が産まれてからと言うもの、拍車のかかり方が尋常ではない。
いつ無くしたのか見当もつかないものが、いくつもある。
私のあのサングラス…
なくなってから1ヶ月後に、ようやくその事実に気がつき、未だに探し続けている。
1日1日を必死に生きすぎて、昨日の記憶すら曖昧な毎日。捜索するにも、子ども2人を引き連れて探しに行かねばならず、探しに行ったそばから、また別のものを落としそうでこわい。電話をかけたり、問い合わせする時間すら、確保できるか怪しい(スマホを手にすると、大抵すぐに奪われる)。
もう何かを探すこと自体、いいかげん終わりにしたい。

「子育て中は、アクセサリーなんてしないほうがいいよ。」
絶望しきった私の姿をみかね、諦めを促そうと母がかけてくれた言葉に、表現しがたい感情がせり上がってきた。
「わかってる、そりゃそうよね。」と「そんなこと言ったって、おしゃれを楽しんでるお母さんだって、いっぱいいるのに…」が、同時に押し寄せて、処理できないまま飛び出した結果、「そういうこと言う人いるよね!」という、訳のわからない、でも確実に嫌な後味の、変な言葉を返してしまった。
母はそれ以上、何も言わなかった。

以前、息子に、ネックレスをちょっとだけ引っ張られ、わーきゃー騒いだときにも、同じ様なことを言われた。
確かに、私自身も乳児検診の会場で「お!すごいピアスしてますね!そういうの、子どもがいてもつけていいのね!」と、他のお母さんの挑戦に、息をのんだことはあるが。
しかし、臆病者の私は、子どもに怪我をさせるような形状や、思わずいたずらしたくなるようなデザインかどうかは、一応吟味している。今回無くしたピアスも、すごく小ぶりなフープピアスだし、ネックレスに至っては、チョーカーのようにタイトで、かぼそいチェーンのみのシンプルなデザインだ。子どもに怪我をさせないため、自分も怪我をしないため、私のように、失くしても騒がないため…納得のいく理由はいくつでも思いつくのに、どうして納得できないのだろう。

「子どもを持つ親になったんだから、もうおしゃれなんか気にしなくていいんだから。なりふり構ってなんか、子育てできないからね。」
一人目が産まれて初めてのお出かけの時、着る服に悩んでいる私に、これまた母から言われた言葉がこだました。

その日の服によって、アクセサリーを選ぶほどには、なりふりかまっていられないけれど、お気に入りのピアスだけは、何が何でも着けていたいと言う、この祈りのような気持ちをどう説明したらいいのだろう。
その日の気分でメイクに変化をつける余裕はないけれど、リップだけは必ずつけてていたいと言うような…

子育てを遠の昔に終えていても、アクセサリーはおろか、そもそも結婚指輪すらつけていなかった母には、きっと伝わらないだろうなと判断して、口をつぐんだ。でもまだ、喉の下胸の上あたりで、もやもやとしたものが行き場を失って上下している。

母になっても女である、という強目の主張でもない。
むしろ、そこまでの気概はなくて、申し訳ない。
わかるんだけど、うん。
子育てしていたら、アクセサリーつけてちゃダメですか?
毎日のなかに、おしゃれとまではいかなくても、自分だけの楽しみというか、母ではない自分を保つためのお守りのようなものを、身につけていたいという願いのような。

やっぱり、明日の朝一番で探しに行こう。
軽蔑を含んだ、母の白い目に見送られながら。私が落としたり、失くしたりしているものは、きっと単なるサングラスやピアスではなく、ギリギリの毎日の中で、どうしても守りぬきたい、自分なりのアティチュードなのかもしれない。

麻佑子

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