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山はない。
東京から西へ向かう在来線の中で、向かいに座った少女の言葉が忘れられない。
「ねぇ、どうして山があるの?」
都会で生まれ育ったのだろう。
彼女にとっては、山があることの方が不自然なのだ。
私たちは、もう、都会には自然がない、と決めてかかる。
確かに大都会の真ん中に山はない。
だが、山はあるべし、と誰が決めた?
その時はただ、“在るものがない”と思うことと、“ないものが在る”と思うことは、どちらが幸せなのだろう…とぼんやり考えていた。
時々、その事を思い出しては、色んな人になげかけてみる。
みんな、どちらとも言わず、ただ、ふぅんと言うだけ。
東京は山の手育ちのあの人もそうだった。
今のところ、私の考えは…
“在る”も“ない”も相違ない。
どこにも何もないし、どこにだって、なんでも在る。
各々の原風景に左右された感覚のような。
そんなことを考えていたら、空(くう)という概念が浮かんできた。
在るがない、空が在る。
息子が生まれ、子供を育てる環境について話し合う機会が増えた。
私たちのなかでは、まだ、答えが出せずにいる。
麻佑子
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