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育児は孤独の本当の意味

育児は孤独

いくじはこどく

イクジハコドク

自分が子どもをもつ
随分まえから、
よく耳にしていたこの言葉。

だから、
ママ友を作ろう、
地域とつながろう、
そんなムーブメントを促すための、
都会で子育てをする人に限った合言葉だと、なんとなく聞き流し、
深く考えてみたことはなかった。

この度ついに私も母親になり、
育児への参政権を得たわけだが、
この言葉の真の意味について
考えさせられることがあった。

私は里帰り出産を選択し、
産後3ヶ月ほど実家で暮らしていた。
祖母、父母、兄、私、息子の6人家族、
加えて近所の友人が週に何度も遊びに立ち寄ってくれていた。

それでもしかし、
孤独なのである。
たしかに私は孤独だった。

なぜか。

目の前にいる自分の子は、
ただ一人、唯一の個性をもった、
他の誰でもない存在だからだ。

つまり、
いわゆる、育児にマニュアルはない。
という意味で、
まわりに人がいるかいないかは、
あまり関係がないのだった。

実の母であり、
育児を経験した大ベテランがそばに居ても、時代は下り、
母が現役で子育てしていたころの常識は、現在の非常識となり、
喧嘩の火種になる。
(お餅を食べろ、牛乳をのめ、白湯を飲ませろ、果汁を与えよ云々…)

そしてなにより、
その子(つまり私)と我が子は、
別人格。
親子と言えども、出産の経緯や
母乳の出方や生理再開のタイミング、
抜け毛の時期や量、当たり前に全て違うのに、
「私はこうだったのに」という言葉に、
いちいち傷つけられる。
お母さんはこうなのに、なんで私は…
自分で自分を苦しめる。

気心知れぬ友人がそばにいても、
その子の子どもと我が子も違う。

さらに、
驚いたことに、生まれたその時から、
赤子それぞれに個性をもち、
発揮しているのである。

「これが使いやすかったよ」
「こうすればよく寝るよ」

無論、
我が子に当てはまるとは限らない。
みんな、
自分の子しか育てていないのである。
よく考えれば、
至極当たり前のことなのだが。

ゆえに、育児は孤独なのである。

近くに人がいるからこそ、
どうして私の子は当てはまらないの?
どうしてうちの子だけ違うの?
お母さんはこうだったのに、
友達はこうなのに、
どうして私の子は違うのだろう。

そんな不安が孤独を呼ぶ。

そうしてしみじじみと、
ああ
育児は孤独なのだと納得した。

そして開き直る。
ならば、
育児に正解はない。
この目の前にいるわが子を
しっかり観察して、
私だけのやり方を選択していけばいいだけだ。

急に闇がひらけた。

もし妊娠中に、
出産準備にしろ、
授乳にしろ、
泣き方にしろ、
寝方にしろ、
万人に適合する完全マニュアルなどないのだと、初めから分かっていたら気楽だったのに、と思う。

まさか、生まれてすぐの時点で
こんなにも性格や個人差が現れるなんて、予想していなかったのだ。
そして、
それを理解するのがまた難しい。
初めての子ならなおさらで、
他と比較するよしもない状況だからだ。
(その意味では文字通り、孤独なのだ)

育児は孤独である、
だからこそ、
むしろ開き直って
われが答え也と堂々と、
あたふたしながら、
目の前にいるわが子と向き合えば良いのである。
すると、目の前に答えが既にあるのだから面白い。
わが子はどんな個性をもっているのか、
どんな方法がぴったりなのか、
好奇の目でじっくり観察すれば良い。

はからずも、
私が母から口を酸っぱくして
教えられた一番の真理、
「人はみんな孤独、
生まれてから死ぬまで永遠に孤独。
孤独は怖くない。
孤独を味方にしなさい。」

この言葉を、
不安に苛まれているほやほやの新米お母さんへ、そして、あの時暗闇の中にいた私へ。

麻佑子

#育児 #子育て #エッセイ #日記

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