母になって、死を意識するようになった。
子どもが産まれて、母となり、一番変わったことといえば、
死を意識するようになったことだろう。
いつ死んでも、悲しくて嫌だけれど、仕方がないなぁ・・・
とどこかで思っていたような、ふんわりとした死に対するイメージが、
くっきりと浮かび上がってきた。
それは、
「私が死んだら、この子が路頭に迷ってしまう!」という、
責任感からというよりも(もちろんそれもあるけれど)、
この子が成長していく様を見れないのは悲しいし、悔しくて耐えられないなぁ…
という、わがままのような感覚が、まずはじめにふっとわいてきたのだった。
そして次に、
この子を基準に、私はどんどん歳を重ねてゆき、
順当にゆけば、確実に私はこの子より先に死ぬのだ、と意識した。
来年には、息子は1歳となり、いずれ入園し卒園し、入学し卒業し、
ティーンエイジャーとなって成人し、
私は、33歳になり、40代になり、50代になって還暦を迎え、
恐らく彼の還暦を祝うことは難しいだろう。
もっと近く、リアルにいえば、
彼を溺愛しているじじばばは、彼の成人を祝うことすら、危ういかもしれない。
それは、私にとっても耐えがたい、けれども確かな現実だ。
ひるがえって、
自分の時間について考える。
タイムリミットや、おしまいが見えてきたところで、
やっともたついていた足取りを整えて歩み出さねばという気になる。
息子と一緒に体験ことや、行ってみたい場所や、
話して聞かせたいものや、見せたい生き様は、
限りなくある。
悩んでる時間も、喧嘩している時間も、
無いというより、もったいない気がしてきた。
自分の人生のスイッチが、
カチッと切り替わる。
自分でも知らないうちに、
私は舵を切りはじめてしまったようだ。
麻佑子
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