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豊かさを、誰かにおすそ分けできる日まで

私が今よりももっと世の中のことについて何も知らなかった、幼稚園くらいの頃。私にとって、一番豊かな存在はおばあちゃんだった。

おばあちゃんは、全然働いていないのになぜかお金がある。
家の玄関先にはいつも茶飲み友達が来て、あーでもないこーでもないとずっとしゃべっている。
お花を育てたら、いつもちゃんと咲く。
うちのお母さんが頼むと、私を預かってくれる。しかも妹が付いてくることもある。
テーブルの上の菓子鉢にお菓子がいつもある。
布団がふかふか。
何をしても「だんない、だんない」と言って許してくれる。

なんだろう。その頃の私が描く「大人像」と言えば親なのだけど、おばあちゃんは、良い意味で親とはどこか違う存在だった。だからすごく豊かに感じた。

私も結構な大人になってしまって…。あの頃憧れたのだから、自分もおばあちゃんみたいな生き方をすればいいのに、なかなかそれが難しいことがわかってしまった。

やっぱりそれなりに働かないとお金がないし、一日働きに出ていると友達なんか来ないし、お花を育てても水が少ないか多いかして枯らしてしまう。
うちの子達だけでも騒がしいのに、妹の家の子達が来ると騒がしいので疲れる。
お菓子なんか子どもたちも自分たちもすぐに食べ尽くしてしまっていつも無い。
布団は全員せんべい布団。
子どもが何かしようものならしつこく語り、逃がさない。

わかっている。何が足りないかは、たぶんみんな分かっている。

そう。心の余裕。

ある人は「お金だろ?」と言うかもしれないが、おばあちゃんなんか、今になって分かるけど本当はお金なんて無かった。おばあちゃんが死んだとき、なにも残っていなさすぎて親戚一同びっくりしたもんだ。

家も、中なのか外なのか分からないくらいのあばら家で、家の中なのに野良猫と遭遇したり、アオダイショウが天井から落ちてきた時もあったくらい。

でも、みんながおばあちゃんを頼ったし、おばあちゃんはそれを受け入れて、いつも感謝されていた。

おばあちゃんが実際に持っていたのは、世の中の全てを分かっているような雰囲気と、そんなに慌てても変わりゃしないと知っていること。気長に待てることと、世の中が戦争じゃなかったら何とかなるということ。その他にも私がまだ持ってないし分からないことを持っていた。

それが心の余裕を作っていて、豊かさを醸し出していたのだと思う。そして、みんなの心をちょっと豊かにしていた。

世界を救うことまでは出来ないけれど、私も少しでも早くおばあちゃんのように生きることが出来たら、身近な人に、豊かさをおすそ分けすることができるのではないか。あるいは、そういう相手が増えるかもしれない。

今のところ私には皆さんに自慢できるような心の余裕などなく、大慌てで毎日を生きて楽しんで学んで…とやっているけど、これが誰かの豊かさに繋がるように、日々を紡いでいきたいと思う。


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